思考ジャム

橋本治内田樹、は11月25日発売だそうで、同名でググッてやってきていただく人が増えている、というお話をしましたが、昨日「大塚英志」さんの名前を出したら、そのキーワードから飛んできた方が、同数いました。(すごい)

わたしの文の、世間的には旬とは言えない(笑)他のキーワードではそんなこと起こりませんけど、つまり、この狭い世界だけで言ってしまいますけど、大塚英志さんにご興味がおありの方のネットサーフィン率が高い、ということではないかと、ふと思いました。なんとなく納得する話ですけども。

わたしにとって大塚さんというのは、ものを考えるという行為のきっかけを作ってくれた人のひとりです。10代の頃に、りぼんのフロクと乙女チックの時代、という本を古本屋でたまたま見つけて買って、その時「どうでもいいこと(りぼんのフロクという微細なもの)を真剣に突き詰めて考えて、社会全体を見る」という方法論を教えてもらったというか、そういうのはサブカルチャー論とか言うのかもしれないですけど、その後のわたしに与えた影響は大きいです。

大塚さんは「矮小さをほっておけない」という言い方をどこかでされたいたと記憶していますけど、矮小なものの積み上げが、実は大きな流れを作っているわけで、矮小なものを矮小なものとして粗雑に扱わずに済んだという意味で、大塚さんには感謝しています。

その後「おたく」という領域にググッとフォーカスされてきて以降は、あまり著作も読まなくなり(東浩紀さんとかもそうですかね)昨日、その2人の対談ものも本屋で見つけたんですけど、買いませんでした。嫌だとかいうのではなくて、なんとなくスルー直観が働いたんですけども。(笑)今摂取する情報ではない、というか。

ここに毎日書きとめることも大概そうですけど、「そんなのどうだっていいじゃん」的、「だから何なんだよ」的、なことのほうが多いです。わたしは仕事で「だからこうです」ということしか立場的にやらない役割なので(大小さまざまな情報に対して決断、行動、結果のサイクルが全て)、結果は出ないかもしれないけど、一日のうち何十分かは、そういう「思考の森」に迷いこんだっていいよね、というのがあります。人に見てもらう、ということは一切無視してますけど(笑)バランス取ってる感じです。

わたしドラム叩くときに、ジャムセッションって好きです。適当に各パートの人がそれとなく弾きだしたり叩きだしたり、それが10分か20分続いて、だんだんそれが曲に変身していくプロセスですね。

でもジャムが出来る、つまり頭で考えるより先に身体が自然に動くようになるまでは、楽器練習という辛い修練があったり、ナケナシの金でいろんな音楽を仕入れて聴いて、人前で演奏して恥をかく経験して、とか、過程の積み上げが必要ですよね。

思考も一緒で、大塚さん風にいうと「矮小」なものでも真剣に調査して研究して考えて、何かひとつの結果を導けたり、導けずにお蔵入りしたり、人に公表してズタボロに批判されたり、そういうことをやり続けることで、実は「思考のジャムセッション」が出来るようになるのではないか、と思っています。

大塚さんの本を最期に読んだのは、吉本隆明さんとの対談で「だいたいでいいじゃない」という本でした。りぼんのフロクで社会を捉えようと根詰めて考えて、いろいろ思考の森を彷徨って吉本さんに出会って「だいたいでいいんじゃないの」という、その結論に行き着くということは、始めから「だいたいでいいじゃん」とは「だいたい」の意味が違うわけで、質のある「だいたい」に行けるように、毎日生きたいところですね。

スポーツや楽器でも卓越した世界では「アイコンタクト」っていう伝達方法がありますけど、思考だって、きっとありますよね。
思考のアイコンタクトで、会話がバシバシ無駄に「拡散」していく快感って、そう簡単に味わえるものではないですけど、そんな関係性を出来るだけ多く築きたいという、オミズの欲望のひとつです。