東京は朝の7時

ピチカートファイブの「東京は夜の7時」という曲は有名(?)ですけど、岡崎京子という漫画家の「東京は朝の7時」という短編マンガがあります。

久しぶりにゆったりと家で過ごした週末でしたが、家のトイレで、トイレの本棚からオモムロに岡崎京子を取って読んでいたら、たまたまこの短編が目に入ってきて、引き込まれ、30分ほどモノオモイに耽りました。トイレ本の話は昔書いたことがありますけど(http://d.hatena.ne.jp/fraflo/20060604)、30分トイレに入っている何気ない幸せって大切です。

そのマンガの話の内容は、東京が朝の7時になっていろんなところでいろんなことが始まったり終わったり続いたりしていて、でもそんなことは関係なく、日常はクールに流れていくよね、という哀愁の内容ですけど、先日「別れ方がわかりません」で書いた同時多発な現実のクールさをめぐる問題とシンクロして、いろいろ考えました。

マンガの題名を見れば、岡崎京子がピチカートに何らか刺激されて作ったことは間違いないんでしょうけど、今思うと、岡崎京子はピチカートが好きだったのか嫌いだったのか、どっちだったんだろうなあとか、そんなどうでもいいところから、トイレモノオモイは始まりました。

どこかの音楽評論家の言説で、当時渋谷系の2大巨頭だった「フリッパーズギター」と「ピチカートファイブ」を評して「フリッパーズギターは漁師の子供も聴くけど、ピチカートは聴かれない」という話があって(笑)その話は何故かとても印象に残っています。

ピチカートの小西康陽という人は、細野晴臣によって世に出された存在ですけど、その細野さん界隈が持っている「都市性」というのを限りなく煮詰めたことやっていたと思います。都市性を「作品」から「商品」にしたというか。やっぱり小西という人はプロデューサーだなと思います。

一方岡崎京子というのは、大塚英志が編集長だった80年代前半のロリコン雑誌から出てきた異色の少女漫画家でしたよね確か。だからレンジが広いというか、きれい事で終わらない、でもドロドロせずにスカッとした後読感があって、不思議な作家さんでした。

「第2周辺の心象」では、「都市性」というものへの強い憧れを書きましたけど、岡崎京子のマンガってどっちかというと「都市」への強い憧れとそれと共振する幻滅(や絶望)を書いていると思うんですよね。そのブレを消して商品化したピチカートは、だから漁師の息子が熱を入れて(共感して)聴くことが出来ない。

って考えていくと、きっと「東京は朝の7時」は「東京は夜の7時」へのアンチとして書かれているんだと考えるのが自然で、そんな見栄と虚飾のキャッチーな(笑 懐かしい)夜があれば、現実に塗れた憂鬱の朝があるでしょ、という。その「漁師話」をした評論家も単にピチカートのキャッチーさを嫌悪しているという(笑)ただそれだけだっとようにも思います。今思えば、そもそも漁師に失礼だし、ピチカートにも失礼な、ひどい評論だな。(笑)

つまり岡崎京子のマンガは、漁師の息子でも読みますかね、と、ここまでがトイレの中で考えたことです。

その後大型書店に行ってフラフラしていると、「新都市論・TOKYO」という集英社新書から出ている本を見つけて、あらら(出会い)と即買いです。最近フラッと捉えなおしてみた「都市」の今の「論」は、どうなっているのやら。楽しみですが、まだ読んでません。

何故読んでいないかというと、その時に一緒に見つけた「分福茶釜」という細野さんの本が出ていて、そっちを先に読んでいるからですけど、これがまたここと同じようなことが(「水」の話とか「バランス(振り子)」の話とか)表現されています。ここにもし興味を持って読んでくださる人がいれば、それを読むと笑っちゃうと思いますよ。わたしは笑っちゃいましたけど。半分はうれしさで、半分は怖さ、で。

話をまとめますと、「東京」が「TOKYO」「トーキョー」もしくは「TOKIO(YMO)」にとなったのがもう30年前なんですねえ。サニーディサービスが90年代中盤に「東京」というアルバムを、そういえば作っていたなあ。今、その新書の題名を「TOKYO」としたのには、何か訳があるんでしょうかね。(訳があって欲しいんですね)

新左翼マガジン ロスジェネ」の時と一緒で、読む前にハードルあげてますけど。。(笑)言葉の使い方に意図があるか、はダラリさんが前に書いてますけどね。サニーディサービスも、アルバム名を決める時に、「とうきょう」をひらがなかカタカナか漢字か英語か造語かって悩んだと思いますけどね。その「手間」は実は本の内容を考えるのと同じレベルで大切なように思います。

いずれにせよ、活字の「都市」と音楽の「都市」と、都市にまつわる表現が、何年周期か知りませんけど、なんだかまたわたしに迫ってきだしている気がしますが、拒絶せずに応対したいと思います。