ハルキストに想ふ

昨日の話の流れに沿うと、「ムラカミハルキさんの小説が好きです」ということは、いまは何も意味を成しません。だから今その小説を買って読むこと自体が「ファッション」でもなくて「差異化」でもなくて「同化」でもなくて、ではどういうことでそんなに多くの人に読まれるのだろう、ということは単純に興味が沸きます。

わたしはメッセージソングに群がる人々がイヤだなと思っていた()のと同じ理由で、ムラカミハルキさんの本ではなくて、それに群がる人々が、イヤでした。(笑)イヤだったので、当時あまりその表現自体にも近づきませんでした。

唯一90年代のハルキドキュメンタリーは、2冊とも、読みました。

今、ムラカミハルキさんの新作が、記録的な出荷をしていて、ノルウェイの森(450万部)を超えて、500万部行くんじゃないの、なんていう話まで出ていますね。
CDと一緒ですけど、売れてる数じゃないくて出荷の数ですから(笑)出版業界の今の現状を考えると、そのニュースの事実性は怪しいですけども(笑)実際どのぐらいの人の手に届いているかというのは、別の話ですけどね。

でもかなり多くの人が読んでいることに変わりないでしょう。

ハルキ文学に群がる人がイヤだったのは、群がる人たちの好きの深さが物凄かったんですよね。わたしの周りを見渡していた感じだと。客観性が著しくない、というか。

今でも忘れないことがあるんですけども、わたし中学生の時にたまたま本屋で見つけてお小遣いで購入したWムラカミの対談本というのがあるんですよ。今も本棚にあったハズですけど、どんな内容だったかは、ほとんど覚えていませんけども。

その本はその後、おそらくいろいろな政治的事情で絶版となったようですが、たまたまわたしの家にハルキ文学崇拝者が遊びにきた時があって、棚からその本を見つけて、お宝発見!って感じで、なんと全ページ、コンビニでコピーして持って帰ったということがありました。

内心、こわいわー、と思っていたんですけどね。(笑)

その人は、その後(自分から吸い込まれていくように)自己崩壊の一途を辿り、今は田舎に帰っているはずですが、わたしが出会ったハルキ文学崇拝者って、そこから遠からず近からずの人が多かったんです。

それは、当時わたしにハルキ文学に近づくなという(笑)警笛の意味の偶然だったのか、よく分かりませんけども、本当に、例えば一人称は「ボク」で、繊細で弱くて、でも何かしたくて仕方がなくて、でも自分のリアルから何かを着実に積み上げようということはしないという、総合的になんか中途半端だよねえっていう、そういう人が多かった「印象」が、ハルキスト周辺には、個人的にあったんです。

同じ印象が「80年代サブカル周辺の女の子」にも個人的にあるんです。

これはたまたまわたしのまわりだけだったのか、分かりませんけど、わたしより8つか9つ上の女の子たちと一緒にいろいろ行動していた時期が20歳過ぎの時にあったんですけどね。わたしより8つ上というと、まさに80年代の真ん中を青春していた人たちですが、こう上記ハルキストに似ていて、自傷行為をしたり、神経症を患っていたり、繊細でアンニュイで、でもそんな自分(の境遇)がスキ、みたいなアンバランスな感じがありました。
わたし単純に、自分が経験できなかった時代を経験している人の体験談を聞くのが面白くて(上位世代フェチ)楽しくお付き合いしてたんですけど、かなり人間力が鍛えられたかもしれないと今思いますね。だって物凄い繊細で、かなり気を回して発言したり行動したりしないと、傷つけちゃうんですよね。

90年代のAC系は、きっと80年代サブカルっ子に源流があって、そしてそれは70年代の少女マンガにいって、それは新左翼にいって、みたいなことですね。(大塚さんの「彼女たちの連合赤軍」的なことですか)

話は戻ります。

今はまわりにそういう人たちはいなくなってきて、わたしの偏見ももうないですが、機会があればハルキ文学に改めて触れてみても面白かもしれないですね。今はいい距離感を持って、小説に触れることが出来るかもしれないし、当時出会った人たちのことが、少し理解できるかもしれません。

わたしが10代後半から今まで、小説表現から離れているのは、きっと中学生の時の日本文学全集(あ、から、わ、まであるやつ)みたいなのが家にあって、あくたがわ→いぶせ、って端から読んでいったんですけど、あっちの世界から戻ってこれない感じがあって、それを女の子と恋愛することによって「戻ってこれない感」はそっちに移行していった。それで現実のほうが過酷で面白いということになって、小説表現からは離れたのかもしれません。

高校生の時、オンナノコとの恋愛模様を、「あ、いまこれは谷崎潤一郎の「痴人の愛」のあの場面に近い」とか(笑)そんな不謹慎なこと思ってたりもしてましたけどもね。危険でしたね。虚構と現実の間をいったりきたり。

その後わたしは社会に開くにつれ、リアリズムの道を歩むことになるのですが、20歳過ぎにわたしがお会いしたハルキストの人たちも80年代サブカルっ子のジョシたちは、その後どうしているでしょうか。お元気ですかね。

そして今話題のハルキ文学を手にとって、どんな感じで彼らは読むんだろう、と想像は尽きません。
書評でなく人間考察で、ご期待されていた方は、すいませんでした。もし読んだら、書きますね。