「有名性の平和利用」が「有名性の悪魔利用」に反転する理由は何だったのか3 サンソン後の最終回

今日は愛知県出張で早朝新幹線です。
さて松尾潔さんとスマイルカンパニーとジャニーズ問題、3回目の最終回を書いときます。興味のある3人に向けて。笑 というより、小山田君問題の時と同じで自分のこれまでの人生と思考の整理点検のために走り切っときます。朝の頭の体操です。

日曜日のラジオ、聴きました。これまで2回の投稿から想定していた発言内容ではありましたが、やはり松尾潔さんへの怒りが大きすぎて、氏への敬称を外している点も含めて、感情が言葉と声に乗ってしまっていましたが、山下達郎の心境を率直にお話になったとは思います。

そしてその後の惨劇…山下達郎のある意味誤解を恐れない、大衆や世間に迎合しない言説に大衆が寛容であるはずもありませんが、続けて書いてきたように、山下達郎と日本社会の幸せな関係は壊れ、菊池成孔言うところの「クリスマスに山下達郎竹内まりやの歌ばかりが鳴り響く、それは山下夫妻ファシズムだが、達郎の音楽に覆い尽くされるファシズムなら悪くない」と言った冗談も笑、もはや幻影となりそうです。

あたしはこの騒動と記事の連投で確認したかったことは「山下達郎だって、あたしらと同じひとりの人間で生活者である」ということ。達郎さん本人もそう言っていますけど、あたしらと同じく周囲の限られた人間との信頼関係と相互扶助で生きている、という事実の確認です。

あたしはツイッターやめて4年経ちますが、2009年にツイッター始めた動機は、40代の自主自律を目指すにあたり、著名なフリーでインディペンデントな創造家たちが、普段どんな生活をして、どんな事を考えているのか知ることでした。結論としては、あーみんな同じようなことで悩み苦しみ、身近な誰かに救いや癒しを求め、闘ってんだなというのが分かりました。そしてあたしが頼ろうとしていた全ての偶像崇拝🟰アイドルは幻影であり、期待は失望の母、自分の歩みは自分で責任をとれ、と、それは自分の経営者の道を開きました。

だからやめた理由も単純で、ツイッターが大衆化し、偶像を追い求め、何か特定のモノやヒトに頼って生きていかざるを得ない人たちが増えて、創造家や有名人の発言がその分不自由になっていき、あたしも目的は達成してあとは惰性でしたし、やーめた、ということでしたが、いまも山下達郎の偶像破壊にSNS界は魑魅魍魎状態でしょうね。

山下達郎という偶像を作り、影響力を持たせたのは、あたしを含む大衆のほうで、政治家や企業家みたいに、自らその影響力を狙って勝ち取った人じゃないんで、大衆側が勝手に期待して勝手に失望しているだけだという事実に、もはや誰も気づかないほど、山下達郎は巨大な偶像になりました。

この流れについて何がこうさせたかの本質を探るならば、その偶像山下達郎を持ってビジネスを加速度的に展開させようとした小杉親子の、特に2008年以降の原罪なのかもしれません。そのビジネス構造のどこかで、もう無理があったんでしょうね。達郎さんが最近「老人虐待」と自虐ネタにしてたのは、その兆候だったのかも。それで何かの「終わり」を先日から感じており、故に泣けるのでした。

1975年の不遇のバンドデビュー、さらに不遇のソロ初期、不遇を助けた男性コーラススタジオ職人仕事と人脈と経験、1978年の大阪ディスコ界でのbomberブレイク、徐々に増える観客動員から1980年のライドオンタイム、80年代前半の成長成熟期、デジタル革命からスランプに陥る80年代後半、ライブも減り竹内まりやの大ヒットとマニアに支えられる90年代前半まで、深夜番組「ダイスキ」や渋谷系での再評価熱、1995年のKinKi Kidsでのスランプ脱出、はっぴいえんど界隈の再活性化と復活、2008年のライブ再開、フェスで格の違いを見せつけリーマンと大震災などの振る舞いや発言の評価と再大衆化、SNSで偶像🟰アイドル総崩れ不在の時代に山下達郎の神格化、シティポップブーム、そして今。

この50年、達郎さんは変わってない、いや変わらないために変わり続けてきたと思います。

最後に「加害者性」と「開き直り」について。全て世の中で起きていることに、自分と無関係なものはひとつもないとあたしは思います。ジャニーズ問題に限らず国内外の政治、経済、外交、文化、環境、人権、すべてに自分は加害者であり被害者であるわけで、その全てに責任を負い正面から対峙する時間も体力も知性もひとりの人間が持ち得ることは不可能、ひとりの人間にとって、世界は広すぎるのです。

だから忘れるか開き直るかしかでしか自分の生活を成り立たせることはできない。世界平和を願うスケールは持てないという諦めと、でも隣人を愛することは出来る、それは未来に繋がってくれると良い、というささやかな個人のボトムアップ思考、達郎さんの言葉は、KCさんへの怒りの感情で多少揺らぎましたが、その視点はブレてませんでした。

はて、問題はそしてジャニーズに戻るのです。大衆の勝手な期待と失望を一身に背負って、70過ぎてズタズタに傷つけられながらも義理と人情、縁と恩の自己軸をブラすことなく、ジャニーズ一族に情理を尽くした達郎さんに、ジャニーズは何で報いるんでしょうか?

あたしなら、心動かされ、KCさんが当初提言したような記者会見、質疑応答、事実解明、被害者救済、再発防止、事務所の未来、全てに逃げずに正面から対峙しようと、前に動かそうと覚悟を決めると思います。それに充分な振動が起きたと思います。

破壊だけじゃなく、そういう「問題解決」の仕方だってある、山下達郎の晩節を汚してはならない、ジャニーズがそう思ってくれることを願うばかりです。

最後にあたしの山下夫妻評つぶやきをあげて
終わります。
お付き合いくださった奇特な方、ありがとうございました。笑