下町シンクロから個食とファミレスの関係性まで

シンクロってわたしよくあるんですよね。双子みたいなやつですね。関係性の深い人だと、「あれっ」てこと、よくあります。

先日、下町商店街のことを書いたら、わたしの幼馴染も同じ時間に別の下町商店街で同じことを感じて考えていたらしくて、報告がきました。

その報告みてて思い出したのですけど、「1店1品運動」っていうのがあったんですよ。某街で。つまり牛肉は牛肉屋、鶏肉は鶏肉屋で買いましょう、と。なるほど、おもしろ標語だなと思いました。商店街を専門店化する(昔に戻す)ということの運動なんでしょうけども、だからそこにはおもしろい専門店がたくさんあったりします。

経済合理性の上では、それは「1店多品」のほうが売る側も買う側もいいわけですけど、でもなんで、30年前は、その経済合理性をどのように受け入れたんだろうなあということはあります。

躊躇や葛藤があったのか、それとも「便利ねえ」「自由ねえ」っていって、無葛藤に受け入れられたのか、その時代に生きてないので、良く分かりませんけどね。

例えば、わたし小さい頃、家族で外食にいってファミレスに行きますよね。そうするとお母さんはグラタン、わたしはハンバーグ、弟はお子様ランチ、おとうさんはカレー、とかね。(笑)おとうさんはいつも「おれ、カレーでいいや」って言ってカレーになるんですけども、わたしらの頃は既にそういうことには何の別に不思議はなかったんですけどね。

いまは、わたし家族で外食ってめったにしないんですけども(わたしがキッチンドランカーなので、食べるときはほぼうちで作ります)外食するとなったら専門店に行きますね。「うどん屋」「そば屋」「カレー屋」「寿司屋」みたいなね。

そこで大事にするのは「みんな同じものを食っている」という感覚です。なんでそれを大事にしようと思ったかというと、なんかちょっと前に、家族の食卓を研究する本を読んで、唖然としたんですよね。

つまり、家庭の中でもファミレスみたいになっているんですよ。(笑)それ見てこれはダメだろうと思ったんですけどね。ダメだろうっていうか、寂しい感じですよね。これは情緒豊かには絶対ならないだろうっていうか。(笑)

わたしコドモの頃、さすがにそれはなかったですよね。やっぱり外食は「ハレ」で、その時だけ「食べるものはバラバラ」の自由は許されていた、という感覚があります。

食べる時間もバラバラ、食べるものもバラバラっていうのは、家族社会学的にいうと「個食の時代」というやつですけど、ファミレスがダメになったのは値段が中途半端に高いということもありますけど、家庭の食卓のファミレス化が、外食の「好きなものをそれぞれが食べる」という意味での「ハレ」を消したからというのは、あると思いますよね。

そう考えると、「食べるものがバラバラ」という自由を提供して個食の推進に一役買ったのは「ファミレス」なんだから、今衰退産業なってしまったのは、まあだから身から出た錆みたいなもんですかって、そんなこと言ったら関係者に怒られますね。(笑)

すかいらーくという店舗形態が激減するそうで、おそらくほとんど街で見られなくなっちゃうでしょうけども、見なくなる前に一回行っておきたいですね。

あの当時のファミレスのハンバーグの、こう「いかにもファミレスの味」というジャンルがあって(笑)わたし結構ノスタルジックに好きです。

最近の進化しちゃったものじゃなくて、当時に近い感じのやつ。すかいらーくで舌に焼き付けたいと思います。