中山ラビさん追悼と国分寺と中日打線

もう数えるのが億劫なレクイエム続き。
 
中山ラビさん、新聞のお悔やみ蘭。今日は元中日の大島選手と二人並びの2021年7月6日のお悔やみ蘭。
 
ラビさんは72歳、大島選手は70歳。そうか、ラビさんはうちのオフクロと同級生なのだな。
 
田尾、上川、モッカ、谷沢、大島、という中日の強力打線を見ていた80年代前半のころ、ラビさんは国分寺でほんらや洞を営んでいたと思うけど、あたしはまだ国分寺のこの字も知らない。ヒッピー崩れもまだたくさん街にいただろうし、70年代の喫茶店ブームの生き残りの店もまだたくさんあったろうし、まだ駅の再開発はされていないし、椎名誠が描いた「国分寺書店」のオババもまだご存命だったろうし、去年ジャニーさんが亡くなった時に、ジャニーさんが語る日本興行史をまとめて残せなかったことが悔やまれるとどこかに書いたが、ラビさんに国分寺の70年代後半から今にまたがる街の変遷を、まとめて聞き書きする仕事は誰もやってなかったのかなと、あらゆる分野の生き字引が亡くなる度に思うんだな。
 
しかし新聞には、ほんやら洞のほの字もないけど、店を40年以上続けた商才は、女性シンガーソングライターの黎明期を切り拓いたことと同等か、それ以上の賞賛に値すると思うけどね。落ち着いたら追悼に名物のらっきょうで赤星ビールを飲んで、カレーを食べにいきたいと思います。
 
ご冥福をお祈りします。