盛り場の流行歌オトナ編

週末の朝、家族の朝食作った後コーヒー啜りながら新聞読んでいると、新聞広告で「盛り場の流行歌CDボックス、本日発売」というのが目に入ってきました。

時代(年代別)の流行歌CDボックスというのは、ちょっと前に、特に団塊の世代の隠居のタイミングを見計らって多く企画されていましたけど、この「盛り場別」という分類は、あんまりなかったではないですかね。

それで、分類は6つです。「札幌〜東北北陸」「銀座」「新宿」「赤坂」「関西」「九州」という(笑)、面白いなあと思いながら、眺めていました。

眺めていてハタと思ったのですが、特に銀座新宿赤坂に収録されている流行歌を見ていると、銀座→新宿→赤坂とすると、それはそのまま50年代→60年代→70年代→80年代という流れになっているということに気がつきました。

ここに入っている流行歌というのは、若者の歌ではなくて、オトナの歌です。ムード歌謡とか演歌とか、そういうものなんですけど、若者が時代と共に街を移動していたと同じように、実はオトナも移動していた、ということが分かりますかね。

東京には「盛り場」というのは実にたくさんあって、他国の都市には見られない、盛り場点在の街で、それはここでも多く触れてきましたが、コト若者文化ということでいけば、昭和の時代でいえば、浅草→銀座→六本木→新宿→青山→渋谷・・と覇権が移動してきた歴史がありますけど、逆に言えば、若者が移動せざるを得なかったのは、その時々の街が、たむろす若者を排除してきた歴史があるからです。盛り場としてそれまで作り上げてきた街を守るために、新興勢力は排除したんですね。

そういう認識があったんですが、それはオトナでもそうだったということは、でも考えてみれば、確かにそうですね。

わたし今、上位世代フェチのオミズマインドとしては、先輩方のシャバは荒らさない、ということを肝に銘じています。紹介されて、「もうどんどん使ってよー」とか、50代60代に言われても、一緒に行かない限りは、その店にはいきません。自分のシャバは自分で作るんです。

この銀座→新宿→赤坂、と移動していく盛り場の遍歴は、単純にわたしのような理由だけではないと思いますけど、若者が移動していったのとは、また違った背景があるのかもしれませんね。考えてるだけで面白いです。

逆に言えば、若者の移動が渋谷以降途絶えてしまっているのは、渋谷が若者を排除しない、というより若者が街というものにこだわりをもたなくなってしまった、人の移動と文化の醸造は関係なくなってしまった、ということなんですが、それは昭和に限った話なんでしょうかね。

そう思いながら、このCDボックスの記事に目をやると、とても貴重なものに見えてきました。

買いませんけど。(苦笑)