ゲイシャジャパン

先日久々に「ゲイシャ」という単語を聞きました。あたしと同じような弱小企業体から果敢に大きな権威に挑む女史がいまして、「あたしらって所謂ゲイシャでしょ?」という一言にグッときました。

そうそう、ゲイシャ!って笑ってました。

営業という仕事について、頼まれて若い人に説明するときによくする例えば話があるんですが、以下こんな内容です。

「例えば今日はクリスマスです。今あなたには5人の付き合っている女性がいます。でもクリスマスは一日しかないので、あなたはひとつのホテルの別の階に5部屋、予約をします。そして1時間交代で5部屋をまわり、誰ひとりとして不満にさせずに夜をこなすのです。営業ってのは、まず5人の女性に同時に愛してもらうことだし、いつかやってくる同時多発要求の際に、その5部屋を同時に(なるべく不満にさせずに)振舞い切るという行為そのもののことです。」

と。引かれる度100%ですけど。(笑)

話すのはここまで、ですけど、もっとはっきり言うと、5部屋の女性を不満にさせない、なんていうことは本当は無理です。ずっと一緒にいないと不満になるのは当然です。だからこの話は、5部屋を回っていることを女性は分かっていて、それでも一生懸命対応しようとするのを許している、みたいなことが背景としてあって、初めて成り立つ話なんですよね。

向こうにもわたしにも愛する相手はたくさんいるのだけど、その中でもお互い直に接している間だけは、「愛し」「愛される」という濃密の関係でよい、という割り切りと、その瞬間だけ没頭できるという関係性、を作れるかどうかが、わたしのような弱小企業で独立性を保つ仕事人の肝なんだよねという例え話です。
(まさに最近メディアによく登場する、キヨシローの「愛し合ってるかい?」ですけども)

じゃなければ、多くの中小零細企業がそうですけど、大手の下請けしか生きる道がないですからね。それは避けられない現実です。

だからほんとは愛してなくても愛されてるほうが楽で、その優位性を勝ち取るために皆さん若い頃から努力するんですし、それは傷つきにくいから、皆さんそこを目指すんですけども、わたしはこの感じ、嫌いではないですし、今まであった「優位性」が崩れつつもありますね。

それでゲイシャの話ですけども。

わたし「前世」とかそういうオカルティズムには「あってもよいしなくてもよいし」というフラフロ態度ですけども、前世ってのがもしあるんであれば、わたし前世ゲイシャだったのではないかとも思います。

都内だけでも、旧花街を歩くのスキですしね。神楽坂、吉原、道玄坂、四谷荒木町、とかほかにも今は全く面影のない旧の花街も都内にはありますけど、好きですね。石畳の階段歩くだけで(いや、見るだけでも)興奮しますよ。(笑)

もちろん旧花街ってのは都内だけではなくて、昔流通の拠点だった地方なんかにも点在するわけですけど、「全国赤線地帯を歩く」なんていう本にも、だから見てるだけで飽きないですね。前世はゲイシャですってプロフィール変えてもいいぐらいですけど。

オトコだとかオンナだとか頭でごちゃごちゃ考えてないで、身体を張って、肉を切らせて骨を絶つ、でいけるところまでいかんかい、だけど優雅にね、というゲイシャスピリットを、わたしはなんとなく好んでしまいますね。

オミズマインド、ゲイシャスピリット、なに言ってんだろうここは、という感じですが、サムライよりゲイシャがいいぞ、なんて、そりゃムスコは育てられませんね。(苦笑)

まあわたし若い頃の努力が足りなくてゲイシャになるしかない、っていう言い方も出来ますけど、そりゃもう「仕方がない」ので、どうせなら一流のゲイシャになりたいですね。