右手にジャーナル

朝日ジャーナル」が復刻されていたので、買ってみました。まだぺらぺらめくっただけですが。

ジャーナル、少年マガジン平凡パンチというのが団塊世代の若者文化の象徴としてあるんですけど、それに匹敵するものはありましたかね。わたしらは。

わたし個人で言うと、20歳前後の頃、必ず読んでいた定期発売雑誌といえば、「REMIX、StadioVoice、ドラムマガジン、TVブロス」みたいな感じだったですかね(後何かありましたっけね。)ま、わかりきったことですけど局地的ですねえ。

たぶん思い出せていない重要な雑誌もあるはずですが、こう思い返してみると、結構お金使ってますね。活字媒体に。論壇誌オピニオン誌はもっぱら立ち読みでしたけどね。ユリイカとかね。高いんだもんね。

あ、だからなくなっちゃうんですね。(笑)

ネットを始めたのは95年ぐらいだったと思いますけども、「大きな情報」と「小さな情報」という使い分けを明確にしていた時代でしたね。マスから入ってくる情報を噛み砕いて消化血肉化して、ネットで批評する。または批評しているものを見る。レスポンスがくる。レスポンスを出す。仲良くなる。または喧嘩する。(笑)全国にはいろんな奴がいるなーと思う。刺激されて、またがんばって情報を拾いに街に出る。

わたし当時国立に住んでまして、一橋大学があったので、街の本屋がエライ充実していたのですよ。弱小出版社から出ているマニアックな思想とか学術の本なんかも、街の本屋で手に入るような感じでした。

だから、学校に行かないときは、散歩→本屋→レコード屋ディスクユニオン)→喫茶店→散歩→帰宅→ネットみたいな感じで、情報のインプットとアウトプットを地元だけでしていた、という幸せな状況でしたね。

先日、久しぶりに国立に出向いた友人が、当時世話になった喫茶店がマスターの逝去により閉店となっていたり、別の喫茶店のわたしらの定番メニュー(キーマカレー)が消えていた、とか、まあ時代の流れなんですけど、哀しいお知らせが届いてましたけどね。

で、ジャーナルの話です。

パラパラめくって、でもジャーナルの黄金期って、筑紫さんが編集長やっていた頃の「新人類の旗手」シリーズがやっぱり雑誌の歴史的価値としては大きいようですね。このシリーズは文庫本にもなっていて、昔古本屋で買って読んだ記憶がありますけど。

紹介されている人が、やけに横文字の肩書きが多いなーという感想と、わたしが読んだ時点で、表舞台に残っている人がすくねーなーという感想の2つは覚えていますけども。

「右手にジャーナル」はその時代ではないと思うのですけどね。発刊当時はどんな感じだったのでしょうね。

ぺらぺらめくって思うのは、同世代(ロスジェネ)の書き手が増えましたねえ。30代中盤ですから、当たり前ですけど。なんかそういうのはうれしいし、同世代の代表的批評家が、どういうことを言うのか、というのは、とても興味があります。

新聞でも、あるテーマについて複数の有識者のオピニオンが載ると、必ず30代中盤の書き手が顔を出して意見を言うという光景が普通になってきているし、経営者だって、ミュージシャンだって、やっぱり少し団塊の世代は疲れてきたというか(笑)、あまり矢面に立たなくなってきてますよね。

当たり前っちゃあ当たり前ですけど、時代の変化そのものに目を奪われガチですけど、こういろんな分野で着実に世代交代が行われている、という感じがぽつぽつとありますね。

それぞれ分野や立場は違えど、ここは恐れず、勇気を持って、一歩前に踏み出すと。まわりは応援したいし、わたし自身も刺激受けて、同調したいところですねえ。

この際言ってる内容は二の次でいいのです。(笑)ちゃんと行動に起こせているか、自分の意志を表出できているか、「社会的責任を負う」という、人それぞれの器で、ヨッコイショとやっているかというところから、時代は少しずつ動くんだと思うのですけどね。

殿馬の美学」でリレー論について書いたのですが、バトンと一緒に「社会的責任」という荷物も背負って走るイメージが加わりますね。

その荷物は「ハンデ」なのか「アドバンテージ」なのか、よくわかりませんが、走った後の充実感が違う、ということだけは、確かなように思います。