トゥモローランドの昨日性

ゴールデンウィークもヒト段落です。今日からまたバカエネルギー全開です。

さて、それでGWは、ヒトともたくさん会いましたし、いろんな場所にも行きましたし、本もたくさん読みました。かえって寝不足です。

世間ニュースとしてもいろいろ動きがありましたが、個人的事件といえば、成り行きで仕方なかったのですが、20年ぶりにディズニーランドに行きました。20年ぶり。(笑)勉強してきました。

20年前は、高校の遠足でした。ここにも登場しますダラリさんと2人きりで、ファンタジーを素通りして、ずーっとディズニーとは関係ない話で園内で盛り上がっていましたが、それ以来となりました。

うちは嬢が2人いますから、そりゃ子供は大喜びでしたが、それを尻目に、20年ぶりによくいろいろと観察してきました。

20年ぶりに行ったディズニーランドは、20年前の面影がありました。先日レポートした富士山のフモトの遊園地のスクラップ&ビルドと違い、常にメンテナンスしている、という感じです。だから20年前と建物の配置とか感じは一緒なのですがそのまま古びてない、という感じです。歳を取らない、というのはファンタジーには大切なことですけど、20年前と同じ状態で綺麗でしたねえ。メンテナンス費用、どのぐらいかけてるんでしょうね。凄いですね。

でも、ひとつひっかかったのは「未来というファンタジーの賞味期限」です。

ジャングル調とか中世ヨーロッパ調とか、そういうコーナーのファンタジーというのは充分通用するんですけど、20年前はまだギリギリ信じられていた(笑)未来のSF世界をイメージした区域は完全に「B級SF映画」のチープさになっているんです。いや、あまり行かない方には必見の価値ありだと思うのですけど、かなりわたしにはそれがリアリティとしてありました。

このブログを読んでいただいている方はお分かりかと思いますが、卒倒しそうなリアリティを正面から受け止めつついかにニコニコ生きるか、ということを生命線にしているわたしらにとって、現実逃避的な夢な御伽噺のファンタジー世界というのは、どこか居心地の悪さがあったんでしょう。そっちのニコニコとこっちのニコニコを一緒にしないでくれ、という切実な訴えをして(笑)、だから20年ばっかり縁がなかったのでしょうけどね。

20年ぶりの「トゥモローランド」の「イェスタディ加減」。最高でした。

それと、ニュースでもやってましたけど、GWなんで、もの凄いヒトだったんですけども、観察していて、「あ、ディズニーランドって美人が少ないなあ」と思ったんです。わたし都内ほっつき歩くんですけど、茅場町の地下鉄のホームでも同じこと思ったことがあるんですけども(笑)美人率が低い。

いや美人の評価価値って人それぞれですし、美人不美人の良し悪しの話ではないです。ただの素直な感覚です。(でも、女性をそんな目で見るなんて失礼よ、というご叱責は受けそうですが(苦笑)オトコとしては仕方がありません。)

そう思った後、よく考えてみたんです。そういえば小中学校の頃、40人のクラスに、この人美人だなっていう支持を受ける人は、いても1,2人だったですよね。わたしずっと公立の学校だったので、環境と条件は千差万別で、そのぐらいの割合だったと思います。

ディズニーランドも、かなり千差万別に多くの人がくるでしょう。そうするとやっぱり10人に1人、1割ぐらいの割合の美人率になるのかと後から考えました。

これは逆を返せば、だからディズニーランドでそう感じるわたしは、普段いかに限られた世界にいるか、ということの逆の証明なんだと思ったのです。仕事という世界でも、例えば夜の時間も朝の時間も、かなり自分の日常の世界は限られているんですね。

東京で、例えば一部上場企業とかがお客さんに会いにいくと会う美人の受付嬢とか、他にもトーキョーでひとり颯爽と生きている自立した働く女性とかばかり接していますしね。夜もオミズ師匠の皆さんは、言わずもがな綺麗です。

つまり生活していると、今の環境と条件では、美人率って跳ね上がるんです。

それはかっことか化粧とか背景とか、いろいろな条件がありますけど、「やっぱりぱっと見絵図の美人率って一割付近なんだ」というのは、学校以来の感覚の揺り戻しで、新鮮でした。アホな着眼ですけども。ほんとに。

トーキョーって中にいると人口がたくさんいて、流動性が高くて、世界は広いと思いガチだけど、実は狭い。美人率が高いというのは、「昼間、ちゃんと一人前に社会に(外に)出て働いている人」という一部だけしか見ていないので、その割合になれてしまっているのだけど、それはその中だけのことで、実はディズニーランドに集まる群集の中にいるほうが、ほんとうの「世界」でリアリティなんだということを改めて思いました。

そんな「リアリティ」を、ディズニーランドの中で感じて歩く家族なんていないのかもしれませんけど(笑)、群集のリアリティをかき消す、見事なディズニーランドの演出、その関係性になるほど、と思いました。依存症の人たちが現れるのも、肯けます。

4年ぐらい前にここで「ディズニーランドと夢の島」という文章を書いてるんですけどね。対比すると自分自身が、面白い。

それにしても、「東京の街は隅から隅まで、ボクは半分夢の中」と。

フィッシュマンズ佐藤さんの詩が、その日は染みましたねえ。(笑)さっそく浦安からの帰りの車の中で、コドモが爆睡しているので音小さめに聴いて帰りました。

その佐藤さんの(おそらく)お師匠のキヨシロウさんがご逝去されたのが同じぐらいのタイミングでした。わたし世代としては、この「訃報」はフィッシュマンズ佐藤さんの訃報の衝撃には及ばないんですけども、フィッシュマンズの音の向こうから、キヨシロウさんの訃報が被ってくる偶然に、少し驚きつつ。

といった連休のヒトコマ報告でした。