マッチメーカー2

先日マッチメーカーという役割について考えていて、先日某新聞の日曜書評欄を見ていると、江戸時代までの豪農明治維新の推進に果たした役割について書いた本が紹介されていました。

明治維新といえば薩長の人たちが「表の歴史」としてクローズアップされるわけですけども、たった4,50年の、交通もメディアも発達していない状況で、ばっと日本の体制が変わっていくのに、豪農たちがどれだけの役割を果たしたのか、ということが書いてあるみたいですね。

その役割は、まさにマッチメーカーだったということです。

わたしのオヤジがでた家(つまりわたしの今の苗字の家)は、「豪農」とはいきませんが、第2周辺で関東平野の開墾にそれなりに実績を積んできた家でした。わたしの5代前(えーと、150年前ぐらい)の人は、明治に切り替わって廃藩置県後に、県議会の議員を務めたので、まさにその本で紹介されている内容をなぞった人物です。(ま、豪農までいかないので、規模は違うと思いますけど)

そう思えば、祖先を少し理解できるような感じがするので、読んでみようと思ってます。

この話は、ちゃんとオチがあって、4代前が、5代前までが作った財産や名声を全て食いつぶして、愛人の全部配っちゃって、ですから本家筋のわたしのおばあちゃん(3代前)は、腹違いの兄弟がたくさんいて(笑)、盆や正月なんかは、「この人はだれなんだろうなあ」という人が、よく家にきてたですね。

交通やメディアが発達する前の、中央が言っていることを理解して自分の地場に伝え、地場の要望をくみ上げて、きちんと中央に伝え、理解させ、中央にも地場にも認めてもらう、というのは、どれほどの創意と工夫と気苦労があったのだろう。想像すると、祖先に愛情が沸いてきます。

これは比較は出来ないけれども、今のマッチメーカーは、手間という意味では楽をしているし、情報の氾濫という意味では苦労していますかね。

手段は、時代によって変わっていくし、マクロで見れば、原理原則だって変わっていく。祖先は偉い人だったんだ、だから何?、という話と一緒ですが、「あの時代は良かったよねえ」という話も本来無意味です。

無意味ですけど、今の自分がどうやって生きていくか、を支えるためには、個人史でも時代史でも、歴史を参考にしていくこと、祖先や前の時代を敬うことっていう、だいぶ根源的なところを、やっぱり大切にせよ、と問われていると思いますけどね。

そういう意味で、戦争で一回歴史を断絶して、バブルでもう一回歴史を断絶しているという、わたしら現代人の、その精神が浮遊する不幸、というのは、絶対あるよなと思いますよね。

わたしは右でも左でもありませんけど、だからたまに「戦争は間違ってなかった」とか「バブルが残したものだってたくさんあるだろ」とか言う人が出てくることそのものについては、ま、それも仕方ないよね、と。(笑)

だから多くのゲンダイ人は気分で生きざるを得ないんでしょうけど、気分で生きるには、あまりに社会が暗すぎる。
ニコニコするには意志がいる。実は、これは昔からそうだったんですけど、2度の断絶で、忘れられていたのですかね。