整理タンス

せっかく世界の料理ショーから今週は話が始まったのに、軽めの話は続きませんねえ。。今日もお付き合いください。
実際あったことを無かったことにする、という気分があります。無かったことにしないと、自分が立っていられないからですね。忘れる、というのは、とても大切な人間の能力だと思います。

そこで、嫌なことは忘れなさい、という言葉がありますよね。特に名を成した人ほど、そういいます。わたしも普段あまり悩みませんけど、わたしのメンターの方々なんかも、考えるけど、悩まない。でも悩まないってことは実は忘れないってことなんじゃないかと思います。

ここは日本語の難しいところで、「忘れなさい」といわれたり「悩みなさい」といわれたり。でも「忘れる」も「悩む」も、常識的な範囲で、この場合は言っていません。そもそも人にアドバイスする人なんて、出来合いの普通とか常識の世界を信じて生きてませんからね。(笑)

だから本来は、発信者にとって「忘れるってなんですか」「悩むってなんですか」そこから伝えないと、「いやなことは忘れなさい」ということの「忘れる」は、発信者の意図と受け取った人の解釈にズレが出るはずです。

だからいつも言いますけど、発信者には謙虚さが必要だし、受取人には今風に言えばリテラシーが必要なんだと思います。

わたしは、消えるのは仕方がないですけど、忘れようと思って忘れる、というのは無しだと思っています。自分が主体的に何かをやってしまったこともそうだし、それは戦争だってバブルだってそうですけど、「無かったことにする=意識的に消去する」というのは、あっちゃいけない。だってそうでないと自分の連続性が切れて、それこそ自己肯定が不可能になるからです。

逆に言えば、「忘れようと思っても忘れられない」というのは、そういう「気分の拒否」を身体がしている、という風に捉えてもよいかと思いますけど、どうでしょうね。

ここは非常に言葉にするのが難しいのですが、昨日の「気分」の話を書いていて、どうしても書いておきたくなりました。

人間生きるためには、答えのなかなかでない悩みや苦しみを抱えていきていかざるを得ませんけど、四六時中それにつきまとわれていたら、何も出来ませんし、そもそもわたしも毎日愚行を繰り返すわけですが、それを積み上げっぱなしにしておいたら潰れます。

だから、悩みや苦しみ、過去やってしまったことは、折り目正しくたたんで引き出しにしまっておくということが必要で、それが急に無くしていたものが出てくる感じで、唐突に、解消されたり、救われたり、するもんだと思うんです。

でも忘れる=消去する、場合は、唐突に「あ、わかった」という瞬間は訪れないし、後悔の念が救われる(つまり自分史の連続性が保たれる)ことだって、一生ないですよね。

その「唐突に訪れる何か」のために、本来気分で生きていたら消去したいことの蓄積に耐えうる人間であるには。

つまりそのソリューションが「引き出しにしまう」であり、それがニコニコ生きるためのリズムであり、気分で無くて意志で生きることそのものかも、という基本的なことを、バカなので繰り返し「唐突に」捕らえ直すんだな、ということが、毎日書いていると分かります。

つまり気分で生きているっていうのは、着る服がたくさんあって、気分的に着たくない服はしまわずにどんどん捨てていって、着たい服をまたどんどん買ってくる。今日の話を踏まえると、そういうメタファーになるんですけどね。

消費文化そのものじゃんね。(笑)