路地の道標(みちしるべ)

ストリートワイズという単語をググッてみると、坪内祐三さんの処女作の単行本が「ストリートワイズ」という本なんですね。まだ手に入るみたいなので買って読んでみましょうかね。あと外人さんも同名で本書いていて、翻訳されてるみたいですね。これはここの理路と同じで都市的なこと、と絡めて書いてあるようです。手に入りにくいようですが、見つかれば、よいですね。

ちなみに、バカの壁は近所のブックオフで100円で手に入れました。〈苦笑)

坪内祐三さん、ここで4年前に「1972」という本を通読した感想を書いています。(19XX的)この本は1972年を主題として、その年に政治経済文化、あらゆる領域でパラレルに何が起こっていたのか、そしてそれは後付でどう繋がって今の社会に影響を与えているか、が書かれている本です。

その19XX的、の中で、わたしこう書いてます。

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この坪内の本は、今の若い人の、特に自分が生まれる前の出来事、歴史にうとすぎて、歴史的断絶をうむということに危機感をいだいたのが動機とか。…
この「1972」は、そういう問題意識もこめて、決してひとつのジャンルに収まらないような工夫が随所に出ます。佐藤栄作連合赤軍、ぴあ創刊、日本のロック文化の夜明け、とかね。政治経済文化、あらゆる角度からひとつのテーマを煮詰めようという形になっているわけですが…この本を読んで、「永田洋子って誰?」「連合赤軍って何が連合したの?」「はっぴいえんどって何?」「頭脳警察ってどんな音楽?」ここで焦らずひとつひとつ別の文献にあたりながら調べて、本を通読する余裕も時間も、20代(そして僕らだって)ない人のほうが圧倒的に多い…これだけ細分化した情報が雨のように降る世の中で、そこから自分なりの関係性、連続性を自ら発見し、それを地盤として生きていくにはどうすればよいか…本は途中で閉じればいいけど、人生は途中で閉じるわけにいかないじゃないですかね

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これを読んだとき、わたしそれ以前の「膨大な無駄の集積」で、永田洋子のことも、連合赤軍のことも、頭脳警察のことも、ぴあの歴史についても、知っていて、ほほう、坪内さんはそう繋げますかね、って読めたので単純に面白かったし、それまでの自分を否定しない内容だったのですが、これらのことは、確かに大きなシステムが作った、あるパターンに従って生きているというだけでは、手に入らないものであるのかもしれませんね。

ひとつひとつは「それって知ってていつ役に立つんですかね」ですけど、それをある主題にそって繋げたときに歴史認識ができて、それが自分や他者の理解に一役買う、ということで結実していく。まさに路上に落ちてる欠片を拾い集めて部屋の隅に積み上げておいたら、それが後で役にたつ、という感じですが、こうやって分解していくと、拡散という言葉だって「ストリートワイズ」に包括されちゃって、ま、それはそれでつまんないね、でもあるわけです。

ですから最近は「また路上思想に戻ってきた」というだけのことなんかね、と思っています。15歳(ストリートカルチャーの洗礼)、25歳(フラグメントフロアーズの体系の企画)、35歳(ストリート(出来れば路地裏)民主主義な生き方を考える)。10年に一度、ストリート考察、のサイクルです。

いずれにせよ、路地には危険がたくさんあり、自分の常識を超える、危うい他者と眩い情報がある。そこを楽しんで生きるために、自分の道標を勘で見つけながら、障害物を取り除きながら、進むしかない。その勘を磨くこと、がイコール生命力ということになるのかもしれませんね。

きっとその坪内さんの「ストリートワイズ」にも、そういうようなことが書いてあるような気がしますが、読むのが楽しみです。

そう再認識してみると、例えば今これを書いている、繁華街のはずれの、風俗街を抜けた場末のオフィスという場が急に愛らしくなったり(笑)、年末のNHKの歌舞伎町特集の菊地成孔さんではないですけど、20代の頃のように、生活の場を都市の雑踏に戻すのが、やっぱり自然かしら、なんてことを思ったりします。激辛料理ばっかり好きなのと同じで、とにかく頭と身体を刺激し続けていないと、癒されない、というなんともしがたい病気です。

本来もう少し早めに実行する予定だったのですが、ま、子供ちっちゃいし、こんなご時世だし、でストップしてましたけど、セカンドハウス兼オフィスを都市の出来るだけ混沌とした雑踏の中に、なんてことで、中期目標で復活させたいと思います。

ちなみに、今日は5年ぶりに、FRAGMENTFLOORSメンバーが(ほぼ)全員集まる日です。ライブハウスにチンドン屋さん見にいくだけですけどね。そんな日に偶然にもふさわしい内容のモノローグでした。

おしまい。