上位世代フェチの源流

刺激へ向かう姿勢は「渇望」から来ると思うのですが、昨日の刺激図のようなバランスによる刺激の受け方というのは、昔とった杵柄であり、小さい頃から変わらない、わたしの振る舞いの根源のひとつなのだと、図を作っていて思いました。

ダラリさんもおっしゃっているように(http://ameblo.jp/dararhythm/entry-10200002441.html)、核家族における長男長女は、そのままでは情報が入ってきませんから、何か情報を得ようと思ったら、自分から情報を掴みにいく、ということをしないといけません。後ろに弟や妹を従えて。
それに加えて、わたしは転校生でしたから、「その場の情報の欠落」が、よりひどいわけです。

ひとつエピソードを言うと、転校先の学校で、ようやく自力で友達の輪に入っていったら、みんなで「シンチョウに遊びにいきたいね」と言うんですよ。わたしてっきり「新町」っていう町があって、そこに何やら楽しい場所があるのかと思って、それはどんな楽しい町なんだろうと思っていたら、「新潮」という町で一番大きい本屋さんだったというオチです。転校生ってのは、最初はそんなのの繰り返しです。地域スラングの辞書を作ることから転校生は始めます。

場への適応とか、情報への渇望とか、そういうことを苦労して獲得する必要がある幼少時代を送った人は、そこで「こうすればあまり苦労しなくて済む」という合理性をどこかで獲得するんです。私にとって、それは「上位世代フェチ」という形で、見出された。

先の「シンチョウ」の話は、同級生に質問するといろいろリスクが高いですが(笑)、上級生に質問して「おまえばかだね、シンチョウっていうのはね」とご教示いただくことは、同級生のそれより、いろいろリスクが低いんですね。失敗を繰り返しながら、それを学んでいく。

つまり、「おまえばかだねえ」で済む関係性の開放性、楽さを一旦知ってしまうと、同級生の、密接な、毎日変化する愛憎を含む関係に疲弊するより良い、ということになったわけですね。おそらく、無意識に、ですけどね。

つまりオトナになっても、同じように振舞っているんですね。見栄、虚飾、嫉妬、など時間を浪費するだけのつまらない余計な関係摩擦は避け、自分を常に前に駆動してくれる「ばかだねえ」の関係性に重きをおくから、まわりが上位世代ばっかりになるわけなんです。

巷では、長男長女はしっかりしていて、2番目以降は甘えん坊なところがある(甘え上手である)、というようなことが定説としてありますけど、逆で、長男長女こそ甘え上手なんだと思いますですね。甘えることの「合理性」を知っている、つまり意図的に甘えるから「上手下手」という評価がつくわけなんです。

2番目以降は、甘えることが「普通の状態」ですから、時に相手に拒否され、時には受け入れてもらえる、という形でしか、受け入れてもらえないこともあると思いますが、長男長女の揉まれた「甘え方」は、それとはきっと質が違いますね。
逆に、物心ついたときから既に「おまえばかだねえ」の関係性を強要され、上の兄弟姉妹に抑圧されてきた2番目以降の人は、その抑圧のパワーが「自立」を導き、しっかりする、ということだってあって、だから兄弟姉妹論って「100人いりゃ100通り」ってことで、「概論」にはとても出来ない部類ですね。

でも、類型としてまとめておくには、面白い話だし、わたしだから、兄弟姉妹構成とか何番目かって、親しくなると必ず聞きますね。
で、話はきっと、どんどん繋がっていくと思います。既に4日分ぐらい、頭にパッとフローが出てきましたので。(苦笑)

今週もお疲れ様でございました。週末はテクノ歌謡で過ごします。
人生のテーマソング(笑)榊原郁恵の「ロボット」のカヴァ見つけました。
ゆるくて、いい週末です。