20年後の艶姿

この間、少し小泉今日子のことを書きましたけど、日曜日に実家でキッチンドランカーになっていたら、流しっぱなしのテレビから、小泉今日子の声が聞こえ漏れてきました。

今、細野晴臣師匠がサントラ作ってる映画の番宣で、よくメディアに出てくるらしいですけど、その聞こえ漏れてきた言葉に、グッときました。


「甘えず、背伸びせず、しゃんと立って生きる」


いい歳の取り方してるねこの人、と思わせる言葉です。

今まで結構40代のバブラーの多くはどうなんだろう、とここでも書いてきましたけど、私が?と思うバブラーの一番いけないところは、社会と自分の状況認識の欠如、かなと思っています。

きっと過去の成功体験を身体が覚えていて、同じようにやっても成果が上がらないことに苛立ったり焦ったりして、困っちゃってるんですね。こんな社会ですから、同じようにやっても成果は出ませんし、若い人にそのやり方を教えているとしたら、それを間に受けている若い人も、不幸です。

みんなが一緒に荒んでればいいけど、こんな時代でも成功している同年代や若い人も、局所的にはいるわけなので、「よしおれもできる」と思って焦ってしまう。焦れば焦るほど、深みにはまる。という感じですね。成功は成功の結果じゃなくて、成功のプロセスを見ないといけないのですけど、焦るから結果だけでパッと見切っちゃう。

それと問題は「老い」というなんともし難い現実です。

ロスジェネは、年齢的にまだ元気があるので、希望を持ってトライすることも出来ますしゼロに戻っても再チャレンジする気力はある。だけど40代を過ぎると、仕事人生も終わりが見えてきて、30代と同じこと、それは人に頭下げたり、地道な営業活動したり、いつどこに繋がるかわからない人間関係の構築に勢を出したり、といったことですけど、そういうことを飛ばそうとします。

飛ばす、ということはショートカットですから強引になり、状況によってはまわりに「甘える」となるし、状況によっては「背伸び(無理)をしている」ということになっちゃいます。

40過ぎて「甘えず背伸びせず」と言えるということは、40代の自分を、40代らしく自然にちゃんと生きる自信がある、ということですよね。

30代も、30代らしく生きていれば「甘えず背伸びせず」は実現する。ただ40代になった時のことをイメージして何かを積み上げておかないと、現実は40代になって今みたいには働けないし、振舞えないし。周りも同じように見てくれない。「私はだいじょうぶ!」ってそりゃ自信じゃなくて過信であるわけですけど。

結構、そういうこと、考えずに生きちゃう人って、だから多いってことですけどね。

今多くの中小企業が抱える経営問題の根幹は、つまり、頭も身体も一番さえているとき(高度成長やバブル)に、頭を使わずにやっと食って生きてたら、能力と気力が落ちてきたとき(社会不安や不況)、悲惨でしょ、とは私のメンターの言葉ですけど、その通り、で、そりゃ個人も、一緒なんだと思いますよ。

成熟、の小泉今日子にリスペクト。