リアルとリズム

オフビートの話を書いている最中、頭の中でずっとフィッシュマンズの「バックビートののっかって」という曲が流れていて、今も頭からこびりついて離れません。

バックビートというのは、小節の2拍と4拍にアクセントがあるビートのことで、今のポピュラーミュージックは、ボサノバ以外は全部それ、という解説も書いてありました。

フィッシュマンズも、90年代を代表する伝説のバンドと化してますけど、佐藤伸治さんってお亡くなりになられて、もうどれぐらいたちますかね。

音楽性はさることながら、強烈なリアリティとささやかな前向きさが同居した歌詞が、90年代を代表する所以だと思いますね。こないだ書いた「ぷかぷか」や高田渡さんなんかも同じで、こりゃ系譜になりますかね。70年代も90年代もリアリティは「暗い」ものだったはずだけど、それを前向きさで処理しちゃうという、その表現者の「根が明るい」感じが、とても好きですけど。

一方で、理想と上昇志向に支えられた音楽があって、多くのヒットチャート系音楽はそうですけど、リアル(現実)と浮遊志向に支えられた音楽があったことは、個人的には救いでした。

改めてフィッシュマンズの歌詞を読んで見ると、偽善でも偽悪でもない、ただただ淡々と、あっけらかんと、しかし真面目に、深く、日常が削り取られているなって改めて思います。

細野さんの言葉で「リズムは、人間を現実に引き戻す作用がある」という言葉があります。リズムは時間を刻み、五感を揺さぶるからですね。お祭りに太鼓が欠かせないのは、お祭りに巻き込まれる人々を逸脱させすぎず、どこかに吹き飛ばされないためのものではないんですかね。

90年代に、ファッションとしてではなく、現実的な都市の機能として「クラブ」が日本でも必要だったのは、成熟した都市の中を浮遊する若者の受け皿であったからみたいな、こう、分かったような批評があるわけですが(笑)、実際その渦にいた人間からすると、やっぱりフィッシュマンズ的なメンタリティであったことは事実でしょうか。

そのメンタリティの中でも「ささやかな根の前向きさ」が、今思えば一番重要でした。
音を鳴らしたり踊ったりという肉体感覚があったから、持てたかもしれませんね。ネット中毒とかで引きこもって肉体感覚が忘却されずに済んだという意味で、現実引き戻しの音楽の類に改めて感謝リスペクトします。