ブラックマシンミュージック及びカツマーについて

ありゃりゃ。一日休業になってしまいやした。。

先週何気なくデトロイトテクノの動画を載せましたが、ビック3の救済案の廃案で、今デトロイトはとんでもないことになっているみたいですね。

60年代に「モータウン」が響かせる音楽が、人々の心を揺さぶったように、80年代の「デトロイトテクノ」も、同じような背景から生まれてきたものです。野田努さんの「ブラック・マシン・ミュージック」に詳しいですけど。URというのは、デトロイトテクノを代表する「アンニュイ」であって、希望、だと思って聴いていました。

その20年後、黒人初の大統領が出てきたと思ったら、今度は差別の問題ではないけど、そこで肌の色に関係なく「枠組み自体の危機」が訪れて、デトロイトでは、今度はどんな音楽が鳴るんでしょうね。

本日発売のAERAを斜め読みすると、勝間和代、という人が大ブレイクしているそうです。(知りませんでした)ビジネス本は出せば売れ、「カツマー」と呼ばれる若者が増えている、とか。

2度の離婚に3人の子育て、理想や幻想を追う前に、どんどん現実がやってきて、ここでも良く書きますけど、うだうだ悩まずに前向きに行動し続けるしかない、ということの積み上げの成果でしょうね。

こう社会がもろく崩れだすと、みんなワラヲモツカム思いで何かにすがるか、自分でアクションを起こすか、反応はいろいろあるのでしょうし、「カツマー」の人々にも、いろいろいるでしょうね。

勝間さんに「収束」していってしまう現象であれば、それはそれで「金融万能市場」に収束して散々になっているのと、同じ結果になるわけなので、ここでよく書くような「崇拝ではなくて尊敬」「教わるではなくて学び取る」とか、結局はそういった節度と距離感の問題で、「カツマー現象」の行方を見てみたいですね。

デトロイトの黒人ミュージシャンにしても、あらゆる現実を乗り越えてきた勝間さんにしても、何がこの時代を乗り切るんでしょうかね、というひとつのヒントは与えてくれるものではないかな、と思います。

そうやって思いながら、UR(アンダーグラウンドレジスタンス)が奏でる音楽を聴き直してみると、というか、今世界のこの状況を目の当たりにしてみると、聴こえてくる音の感触というのが、なんとなくあるんじゃないかと、思いました。

勝間さんの一連の記事の中で「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という言葉がでてきます。わたしは完全に後者、愚者ですね。

グローバリズムがもたらしたものに、人間をハッピーにしたものがどれほどあったのか、分かりませんけど、わたしにとっては、2009年以降、デトロイトから発信される音楽がもしあるのだとすれば、それを20年前とは違う形で享受することができると思うし、それは、グローバリズムが産んだこの危機がもたらしたうちのひとつの、わたしにとっての「価値」なのかもしれないなと思います。

その意味で「経験」でしか分からないこと、腑に落ちないことは必ずあるし、逆に言えば、「愚者」だから間違っている、ということもない。なんか「カツマー」でもなんでもいいですけど、大きいものとか強いもの、そういうものにすがらずにどうやって生きていけるかな、そういうことを東京でもデトロイトでも等身大で考えることができて、それが交信できる、社会が来るとステキだなと素直に思うんですけどね。