シティポップとは何か、を読む

柴崎祐二さん編著の、昨今世界を取り巻くシティポップブームを分析する社会評論を読みました。難解で読み応えのある本ですが、個人的に以下の読後感があります。


シティポップを「はっぴいえんど中心史観」からどう離れて語るか、の試みをしつつ、やはり離れられないという論の立て方に、最近のはっぴいえんどの扱いの難しさが出てますが、あたしは「風をあつめて」がシティポップの元祖だという大瀧詠一説に同意する立場で、アンチはっぴいえんど層への涙ぐましい配慮に敬意を表しつつ、やはり無駄な配慮なんじゃないかと思ったりします。それは以下の理由から。


ホソノハウス、の90年代のベルウッド再発盤を手に取るとブックレットに篠原章さんの98年時点の解説があり、アルバム全体を覆う「都市民に固有の時空を超越したセンチメンタリズム」は普遍的であり、我々は21世紀もこのアルバムを聴き続けるだろう、と書いてます。その指摘の鋭さは買った当時はわからなかったけど、改めて唸ったのは数年前のことでした。21世紀も20年経過したけど、マックデマルコはカバーするし、そりゃもう現在は篠原さんの予測を遥かに超えてます。


あたしは、篠原さんがここで言う都市民は、田舎と対比した都市ではなくて、ストリートカルチャーとストリートワイズのことだと思っていて、変わり続ける風景の中で変わらないものを探す、だから変わらないために変わり続ける、という逆説的で孤独を伴う在り方が都市生活者に必要で、そのセンチメンタリズムは時空を超えるんじゃないか、という仮説を立ててみてます。


この本でも、上記のセンチメンタリズムを「やわらかい個人」という表現で書いていて、60年代までの硬い個人から柔らかい、しなやかな個人へ、それを誰かは「ここではないどこかへの夢想」から「イマココの読み替えで済ます」への変化だと言ってます。シティポップは、まさに「イマココの読み替え」する時代にマッチした、しなやかな個人が消費社会を生きるために利用される音楽でした。


シティポップは、はっぴいえんどファミリー及びそのフォロアーを中心に創作した都市生活者のための音楽だとすれば、その創作表現の根底にあったのは、まさしくその「都市民に固有の時空を超越したセンチメンタリズム」だったんだと思います。2002年に出た木村ユタカさんのシティポップディスクガイドの巻頭言で、木村さんはこう書いています。

80年代当時使われていたシティポップという言葉には、都会的な、とか、洗練された、といった意味が含まれていましたが、今回僕はそれを、都市生活者のための都市型ポップス、と捉え直して


はて、98年の篠原さん、02年の木村さんと、同じ発想となっているのは偶然ではないと思います。その頃、東京は曲がり角、単純進歩史観がガタガタと崩れていく時期でありました。都市民を支える柔らかさ、しなやかさを支える都市社会が変化する動力と活力を失い出したんですな。


この本で、欧米でのブームとアジアでのブームが分けて語られてます。欧米ではおそらくゼロ年代以降のブギー再評価、連綿と繰り返されるレアグルーヴ視点という過去からの流れからきている一方、アジアでの盛り上がりは、あたしはその「都市民固有のセンチメンタリズム」が、ゼロ年代以降のグローバリズムに寄って急激に都市化していくアジアで、まさに時空を超えて受容された、まさに篠原さんの見立て通りになったんではないかと思います。


もしそうだとすれば、言葉はドメスティックで伝わらなくても、音で心像や風景を描写でき伝わる、という証明にもなるわけですけど、しかしやはり、アナログレコーディング技術及び技術者、プレイヤーの成熟、作編曲家の情熱と若さ、過剰じゃない適正な市場規模や予算という恵まれた環境、いろんなことが絡んで奇跡的にあの時代に産み出された良質な音楽群だったということは押さえないといけないでしょうか。時間、手間、お金、情熱が注がれたものだから、世界的に掘り返される価値がある。この30年ほど傍に置いて聴いてきた身としては嬉しいことです。


最後に考えるのは「都市の終わり」について。はじまったものは必ず終わるのだとすれば、都市文化も、都市そのものも終わりはきます。上記の筋立てからすれば、都市の終わりと共にシティポップはどうなるのか。


あたしは東京に住み始めてもうすぐ30年になりまして、都市に憧れ、都市生活者の浮遊、孤独、儚さ、危うさ、故の気楽さ、自由さを感じながら泳いできました。


•90年代に隆盛を極めたアンダーグラウンドテクノを、都市の民族音楽、と形容した人がいましたが、シティポップはまさにその源流のひとつの都市音楽であり、あたしが90年代後半、テクノからシティポップに逆流していくのも、いま思えば必然だったんでしょうけど、あの時既に、文化都市としての東京は終わっていた、ので過去に向かったのでした。東京がまだまだ面白ければ未来に向かって引き続き探求していたはずです。


とすれば、いまのアジア都市も、発展すればするほど、固有の都市文化は死んでゆく

故の仇花としての、それは篠原さんや木村さんが書いた20年前の東京よろしくのシティポップ評価だとすれば、世界的に「都市文化の黄昏」が起きているのかもしれません。


そして30年経っても、殺伐さが増し続け、精神病が生活習慣病のように扱われる都市空間で、あたしが病まずに生き続けられたのは、まさにそのセンチメンタリズムと共に寄り添ってくれた音楽群や、それらを共有しながら励まし合ってきた家族友人仲間たちや場だったということは言えると思います。


とすれば、いまはシティポップブームなのかもしれないけど、世界中で、そこから本質を掬い取り、引き続きしなやかに都市を浮遊しながら生きていこうとする音楽好事家な都市民の、傍にあり続ける音楽として普遍性を獲得できるのかもしれない、ですね。


だけどそのことと、音楽市場のことは、もはや何の関係もない、読み人知らずの短歌や川柳のように、真夜中のドアやプラスティックラブが世界の都市民の鼻唄になるのか笑、あたしはでもそれ、素敵だなと思います。