状況と情況とモンスター

☆先回の記事で訂正があります。朝日新聞の「ロスジェネ」特集ですけど、今年じゃなくて去年でした。母親の半年間の看護と死という大事件年をまたいで起こったので、時間軸が狂ってます。(苦笑)謹んでお詫び申し上げます。(ご指摘ありがとうございました)☆

世間様、という実体のない「様」がいらっしゃいます。
昔は、親戚だったり隣近所だったりしたかもしれませんが、それが「テレビ」を代表するマスメディアが代替していったのが戦後の歴史です。

今は、その「世間様」という大きな物語がなくなりつつあるので皆さんお困りで、ダラリさん言うところの「スケープゴート」ですね。(http://ameblo.jp/dararhythm/entry-10131256926.html)メディアは、世間様が崩れはじめてきた最近は、だれかをイケニエにすることで、「世間」のカタルシスを得、収益性を高めようとした。いまやその手法さえ駄目で、広告収入は激減、日本のメディアも、何らか新たな手を打たないと、いよいよ苦しくなってきているそうです。

こういったイケニエの構図は、別に日常生活でもよくあることです。皆さん、見えない「世間様」壊れていく「世間様」に怯えるあまりに、誰か矢面に立ってくれる人を探します。見つかれば安心して生活します。そしてその人がいなくなれば、また別のイケニエを探します。最近の人材不足で、探しても探してもいないので、ふと気がつくと自分が雨風にされされることとなり、心の病も自殺も増えている。


私は感じるんですけど、大なり小なり規模に関わらず、スケープゴートにされる人の多くは、自分がスケープゴートであることを「自覚」しています。Aのメンタリティです。「あえて」その役回りを買って出ます。その結果「世間様」的な逆境にさらされますことも多々ありますけど(例えば多額の借金を抱えてしまう。街を歩けなくなる。批判を浴びる。といった状況)でもその人の「情況」は、決して悪くない、と思います。その状況を好転させる秘策も、おそらくあるし、世間的には再起不能の扱いになったとしても「後悔」はしていない。後悔どころか、おそらく今後の社会を生き抜くのに必要な知恵と経験を積み、より地面を固めている自負を持ち、また新たな生命力を宿すっていう感じでしょうか。勿論無自覚にスケープゴートされて、ボロ雑巾のようになってしまう人もいるし、軸がぶれてしまって、再起が図れない人もいますけどね。

だからそういうものを目撃した時に注目すべきは、結果の後の対応じゃないかなと思います。大なり小なり世間様の反応は半端ではありませんから、それをどう乗り切るか、そこに賭けて勝負するためにあえて乗り込むことが主体性の本質です。

主体性、にまつわる意志や覚悟ってのは、それぐらい生半可なものではない。それはテレビに出るような人の大規模な世間から、会社の一部門のような小さい世間から、原理は同じだと思います。

で、そんな世間様が解体してきて困ってるのは、大なり小なり「スケープゴート」で物事を他人事で済ませてしまってきてしまった「世間様」自身です。

今、世間様は崩れ、その構成員のキミはどうなの?が問われるのが現世です。状況も情況も、甘えは許されません。「誰だこんな世の中にしたのは!!」それは「誰」でもなく、「あなた」が構成する世間様。

そこの状況をとらえなおして、自分を見つめなおすことからしか、情況の好転は見込めません。

私がここでよく書く「突き抜け」とは、まず「自分がどうか?」があって、次に「世間様はどうか?」であって、その世間も別に狭くてよい。(笑)独りよがりにならない程度に世間がありゃいいんです。(って、また暴言ですか)

だから、意思決定の順位でいくと、「悩み」のトップは「自分がどう生きるべきか?」であるはずですけど、人の大半の悩みは「人間関係」だそうです。。(ここに「世間様」がズデっとあるわけですが。)

世間では、40歳を「不惑」というそうです。

不惑になるには、まずどんどん惑って、とことん大小さまざまな世間と格闘する必要が当然あって、出来ればそれは学校社会の10代のうちに格闘しておくとよいと思いますが、きっと小学校で悩んでいたことをオトナになっても同じことで悩んでいるのですかね。「悩む」は思考停止だという言葉がありますけど、悩んで「忘れた」で済ませてきた。

今のオトナもそうであれば、その時以上に世間様がなくなりつつある現代の子供は、どうすればいいのでしょうか?

私思うに、これから世間は自分で作るしかない。自分の主体性と、その中身を客観的に辛らつに評価助言してくれる他人と付き合うこと。出来れば一流のたたずまいを備えた人がいいですけど(笑 「世間はちっちゃくてもいい」の前提条件です)、その他人は家族であれ、恋人であれ、友達であれ、先輩であれ、後輩であれ、悪魔であれ(小悪魔では少々弱いですかね(笑))、そういう人に敬意を持って接して素直に話を聞き、自分を自己矯正していく。

「世間様」が無くなっていくことで、「世間を自分で作る」が出来ない人は、自我が肥大してどんどん「モンスター」化していってます。世間様という巨大なモンスターはいなくなりますけど、肥大した自我と悪意だけを持った小さなモンスターが社会に点在するようになる。

昔「コミューン」という考え方があったんですが、世間様という巨大モンスターを前にコミューンを存続することはとても難しかった過去が現代にはあります。巨大なモンスターと対峙するには、その集団には大変な自浄作用と匹敵する物語(思想や記号)が必要で、そこで無理が生じました。

私が言う「自分で作る世間」っていうのは新たなコミューンのことで、こういったモンスター点在型の社会なら、以前より成功する可能性が高いと踏んでますけど、どうでしょうかねえ。

世間が解体された後のコミューンとかサロンっていう方向性を、私結構本気で考えてるんですけどねえ。。

追伸:阪神ファン(野球ファン)として思うのは、星野は今回「島野育夫」という世間がいなかったのが、大きかったですね。私の言っている「小さい世間」は、山本浩二と田淵みたいな構成では、五輪と同じで、おそらく失敗します。(笑)