若さ故

「わかさゆえ〜」というのは、元六本木野獣会によるGSバンド、ザ・ジャガーズの1967年のデビュー曲「君に会いたい」の有名な歌いだしですけども「わかさゆえ〜」というのは、いつの時代も変わりません。

仲俣さんのブントとバンドの比較仮説から、時間の話になって、リセットの話になって、若さの話まできました。なぜこういう流れになっちゃうのでしょうか、というと、ブントの頃とバンドの頃は時間密度に差があって、その密度の差はリセットが原因であって、そのリセットの効力も若さということの同じく衰えてきて、そういうことが、実際社会に表出してきたように思うからです。

月曜日の「GS→全共闘→連赤→バブル」というのと「バンド→IT革命→ITバブル崩壊→×××」ということを書きましたが、そもそもITバブルというのは、平成不況の中で、どうして可能だったのだろう、ということがあるのですけど、それはまさに「若さ」だったということはあると思います。

多くのIT企業は、ロスジェネ層を中心として、コンピュータ技術を習熟しやすい若い世代を、安い人件費で長時間労働させることによって、業績を上げてきたという面がありますよね。当時はまだ「ハケン」が完全自由化されてなかったので、その時は皆さん正社員だった人も多かったわけですけども。

でもいま苦しいのは、その若さ故、安い人件費で生産性の高い仕事をしてきた人で、当時自分の若さ以外の付加価値について深く考えなかった人が歳を取り、金も必要なので人件費だけ高くなるのと反比例して若さという価値が無くなって、今苦しい立場にいる人たちがいるわけです。もっといえば、人件費が上がらないどころか下がる一方で、結婚したくても出来ないし、子供だった産めない、ということだってあって、困ったことです。

わたしの知り合いのIT企業の社長は(わたしはそのやり方賛同しませんけども)当時から、その構造に気づいていて、社員に「35歳定年」をうたっていました。ITを支えるSE(システムエンジニア)個人のの損益分岐点が、平均35歳だという割り切りからきています。35歳を過ぎて、会社幹部候補になれる人間は、その後再雇用をして、そうでない人間は、退職となる。

まさに、合理性だけの仕組みですけど、構造を端的に表している例だと思います。

この「若さ故」の構造に気づいたのは、わたしはいつぐらいだったでしょうかね。よく会社概要に「平均年齢」なんて入れて、若さをアピールする会社があります。社員が若くても成り立ってますよ、という解釈だと「おお、なんか既成社会を崩す勢力がきたぞ」みたいに思いますけど(それがまさにIT革命ですけど)、それはほんの一部で、後の実体は、実は「社員が若くないと成り立たない会社」だったということですよね。

雇い主(多くはバブラー)の感覚もひどいけども、雇われる側も「ま、若いからね」とリセットボタンを手に持って、タカを括ってそれに乗っていたフシもあったと思います。

わたしオンナノコでリスペクトする人が多いのは、「若さ故」を自覚している子が多いからで、オトコノコは「若さ故」を自覚しにくい。だからこれはきっとずっと続くということを、オトコノコのほうが感じやすいし、オンナノコはそういうところ、現実的です。

団塊の世代は連赤とバブルの間に、70年代の不況、があるんですけども、これは、企業が若い人を大量に雇用して、まだ習熟度が浅くて使い物にならないから、企業は出銭(投資費用)が多かった、ということはあったと思います。でもその人たちが10年社会人やって、皆さん仕事のやり方がわかってきて、生産性が著しく上がって、バブルに突入する。

わたしが「バブル」に対する「×××」を考えるのは、1985年と2010年というのは、きっと同じような国内構造になっているんじゃないかと思うんです。労働人口範囲(15歳〜65歳?)の真ん中がボコって山になっている状態です。

その状況で改めて考えないといけないのが、今までのわたしらの「時間の密度」と「命の密度」の問題だ、というのが、今までのお話でした。

戦争と内ゲバで、「人を殺めないようにするにはどうしたらよいか」で捻り出された処方箋があって、バブルとITバブルの崩壊と、そして今の状況で「資本主義経済活動の限界」を再三と見極めざるを得なくなってきて、さて、じゃあその2つを避けて、何処に向かいましょう。

その時に、自分の「有限な命と時間」というのを捉えなおさないと、このまま状況に押し流されてしまうのではないかなあ。

なんて自省を込めて、明日は「命の密度」の話です。