大したことねえな

「期待に応える」っていう言葉がありますよね。

親の期待に押しつぶされる子供、子供の期待を裏切る親。皆さんおそらく、人間関係の「利害」のきっかけはそのあたりから開始されると思うんですけど、この「期待に応えられない」ための恐怖に怯える人が、今は多いんですよね。

「期待に応えられない」人が多いんじゃないんですよ。そりゃ当たり前です。みんながみんなの期待に応えられたら、もっといい世の中ですから。(笑)そうじゃなくて「期待に応えられなかった時」の恐怖に怯えて、物事を先に進められない、という人が多いんです。

期待に応え続けるっていうのは、キツイです。そのキツサを乗り越えて、肩の力を抜いて自由に浮遊する、そしてあわよくばちゃんと生き残るためには、何が必要か、と考えたんですけど、

「お前、大したことねえな。でも好きだよ」

と言ってくれる人間を、まわりにどれだけ配置できるかどうか、だと考えます。

これは仕事関係ではあまり作り難いと思いますけど(作れたらラッキーですね)、家族か、友人か、恋人か、愛人か(笑)、まあ何でもいいですけど、そういう人がいるといないじゃ、全然違います。

こう、親と子が、ある断絶を抱えるのは、この「期待はしてないけど、愛してる」という表現が、躾なんかとごっちゃになって出来なくなるってのと、一億総中流という、つまり「がんばればなんとかなる」という幻想に苛まれてきた時代の「期待」なんかがあって、今この「期待に応えなきゃ」病に、我々世代以前は特に、苦しむわけです。

わたしもご多分に漏れず、「期待」に苦しんだ過去がありますし、仕事でも苦しみます。でも「苦しむ」場面を、つまり「期待に応える」先を選んでおけば、パニックに陥ったり、過度に失敗を怖がったり、しなくて済む。
どこの期待に応えればいいか、がわかるには、どこの期待に応えなくていいか、が分かるようにならないといけません。

ですから「お前、大したことないよ」と言う人間が必要なんですね。でも「好きだよ」で認証されていれば、よく分からないプライドやふてくされで、そのまま再起不能になることもないかな。

小さい子供にとって親は全人格なわけなので、この期待に応えられなかった時の恐怖というのは、筆舌に尽くし難いですよね。
だから「期待に応えなきゃ」病は、きっと長男長女に多いと思いますけど。

「ま、大したことないけど、君の○○認めるよわたし」と、追い詰められて苦しんでいる人を見たときには、言うようにしています。

逆に全ての理不尽な期待に応え続ける人を、だから「スーパースター」と言うんですけどね。
今は、期待が集中することはあまりないので、スーパースターは要りませんけど、だから期待は分散して、個人を苦しめるんですかねえ。
しかも中流時代の「5%成長」なんていう淡い期待を時代も背負えないしね。(詳しくは「現状維持の質」エントリ(http://d.hatena.ne.jp/fraflo/20080827)を参照ください)

王監督勇退されるそうですけど、王監督のニュース見てて、そんなこと考えました。