究極のエゴイズム

究極のエゴイズムは「無私」だという人がいます。
究極のエゴイズムは「己の利益だけを考える」ではなくて「他者に利することによって実は自分の利益が最大化する」という世の中のカラクリ(仕組み)を理解して動くことである。ということを言う人もいます。

なるほど!と思って、あー私はエゴイストだ、と思いました。5年ぐらい前でしたけど。

最近昼も夜も人と接していて思うのだけど、本当に自分のことを考えることで精一杯で、周りが見えなくなっている人が急に増えているように感じます。じゃあわたしは見えているか、というとそうじゃないです。だから毎日ここに禅問答を書くわけですね。(笑)クールダウン、です。文章書きは。

でもそういう私益のことで精一杯の人たちを「エゴイスト」だとは言わないわけですね。上記の言葉を正とすると。

私が考えるビジネスは、エゴイズムです。他人に利することで自分の利益を最大化する運動です。でも昨今は、他人に利する、が抜けて、自分の利益をどうやって最大化するか、ということしかないので、取引が成り立ちません。

なんでそこ抜けちゃったのでしょう?
他者がいないんですね。

元々、他者はそこにいた。今はいるけどいない、なんですね。他者の姿はあるけど、感じていない。

架空経済は、その「他者に利する」の部分を合理化しちゃいました。モノを作ったりサービスをして相手を喜ばせるような実体経済の世界にも、その合理化の精神が、浸透してきちゃったですね。お金のやりとりに、手間が抜けてる。それと他者はパソコンだったりする人もいて、なんでもパソコン上で片付けちゃいますし。

そこに相まって、昨今の社会状況が重なります。

自分が食べるのに必死。食べるためにはお金を稼がないといけない。お金を稼ぐには、働かないといけない。しかし働く環境は悪化して少ない安定のパイをみんなで奪い合う。だから他人のことはどうでもよく、自分の利益が確保されるためだけに動く。という論理が多くの企業や人を覆っていますね。

だから入ってくる利益は最大化を達成しないまま、中途半端に入ってくることになります。でも、それでもいいや、です。少ないけど利益が入ってきたからいいや。だって「不況って言われてるし、みんなも同じぐらいのもんでしょ?」で落ち着きます。(笑)

だから、こういう時代はおもろいんです。

逆のことをしたらどうなるでしょうね。お金をもらうことに手間をかけ、まずは他者に利する、のプロセスをもう一回戻して行動したら、どんなことになるでしょう?仮説です。

そこで最近わたし、取引先に請求書出すとき、「手書き」にしてます。(笑 時代錯誤)しかも大きな取引の場合は、時間が許して都合があえば手渡しします。さて、これはどんな「今は見えない」利益の最大化を生むか、検証結果が楽しみですね。それは10年先か20年先の結果かわからないし、利益=お金ではないかもしれません。なんだか分からないのが、また楽しい。

自分以外の世界に対して汗流して手足動かして、自分に対しては、こうやって汗も流さず、キーボード叩いてるぐらいの配分で、ちょうどいいって思います。