実存は水の中

プレカリアート」という本をメンターにもらいました。拡散で生きていると、フッとした偶然(突然やってきた必然?)が時々あるのだけど、ここのところ資本主義の限界とか民主主義の捉えなおしとか「雑誌ロスジェネ」あたりの新たな大衆運動みたいなものについて繋いで考えていたんですけど、またポッとフロアが浮き上がってきました。

勿論その本をくれたメンターは、このブログの存在は知らないわけですけど、雨宮処凛さんという人が書いている本です。どっかで見た名前だなあ?と思ったら、先回先々回と話題にしている「ロスジェネ」の執筆者に名前を連ねている人でして、あら繋がった、です。だから人生、生きてて面白いのですけど。

えと、3連休いろいろ動き回っており、「ロスジェネ」も買ってませんけど(笑 すいません)、ひとまずプレカリアートでフッと思ったことを書き留めておきます。

プレカリアート」って「不安定なプロレタリアート」という意味の造語だそうですが、今の「ワーキングプア」の実態が書かれている本です。それで雨宮さんて、私の1歳下の「女の子」で、フリーターからライターになり、この辺りの問題を専門として何冊も本を出されている人です。元当事者ですので、アカデミミシャンやベテランのルポライターとかが書いたものではなくて「渦中の人」からのルポですね。新書媒体なので、表現の先はおっさん連中、ということになりますけど。

まず言っていいですか。「ほら、やっぱり『女の子』でしょう。」(心の叫び)

まだ途中までしか目を通していませんけど、かなり強いメッセージを発しています。すでに5年前からワーキングプアの人たちのデモや集会があったりしてるそうで、状況は「うんこ味のカレーを食うか、カレー味のうんこを食うか」というレベルまで追い詰められている、というのが、冒頭に書かれてあります。どうしてこれを書くのが女の子なのか?それは決して「たまたま」ではないんじゃないのかな。。と「拡散」的には思います。
プレカリアート社会の「マザーテレサ」が出てきたといっては言いすぎですかね。。)

男の子と女の子については、「共産党ブームと男の子の現状」をはじめ、多くのエントリーでお話してきたことですけど、象徴のようなもんだなとこの本見て思いました。

プレカリアートの男の子たちは、そこまで追い詰められるまでに何をしたんでしょうか?または雨宮さんが本を書いている間に、何をしているのだろう?マザーテレサは、追い詰められた状況を「自己責任」本人達が悪いんじゃんと他人事にするなかれ!と声高に叫んでいますけどね。

その疑問を考えるために、対偶で、同世代の私は、でも何故いま追い詰められていないのか?を考えてみました。

私がいまやってること「ビジネス=マネジメント」の基本は「サービス」だと思ってます。企業間取引を成功させる、内部組織を円滑にする、全ては仕掛ける人の「サービス」があって成り立ちます。サービスって「後味のよさ」です。関係する人、その場にいる人、全ての人が「気持ちよく」なるために何かをするのが役割です。この役割って、本当に精神的修練が必要です。だって悪意は吸収して善意をまわすから、です。

そうやって役割を認識して、役割を真っ当すると業績や評判は上がります。つまり極論を言ってしまうと企業活動だってサラリーマンだって、今は「人気商売」つまり「水商売」なんですね。
水商売に生きる、は昔は一部の「特殊」な人への形容でしたけど、今はみんな水商売に生きる人のメンタリティじゃないと生き残れません。それは雨宮さんの言う「正規雇用」「非正規雇用」の別なく、誰にも言えることです。
水商売、人気商売ってのはとても大変です。自己犠牲や最大限の心配り目配り、全てやるべきことをやる究極のサービス、常に自分を変化させ、時流に適応していくバイタリティ。「マジメさ」と「いい加減さ」のバランス。とにかくいろんな人に揉まれることが、まずは仕事ですかねえ。

それを「本当のおれはこうじゃない!」とか「人に気を使って生きたくない」とか「こんな地味じゃなくてもっと楽にお金が欲しい」だとか、つまらないことに縛られてしまったり「疲れた」「しんどい」といって諦めた時点で終わり、です。

だから私は、男の子は「女の子」に学べとずっと言い続けてきました。

しばらく続いた男性社会の、男は「選ぶ」側で女は「選ばれる側」で、という論理を見れば、女の子は「選ばれるためにどうするか」の教育を受けてきています。家庭や学校や社会で、フェミニズムの台等で意識レベルでは消えても、今の若い女の子も無意識レベルでそれは教わってきてますよね。今社会は、多くの企業や家庭、学校でさえ「水商売」、つまり「選ばれる側」の論理を踏襲理解しないと生き残っていけないのです。

「選ばれるには、何をしなきゃいけないか」考えられ「続ける」人だけしか、生き残れない社会は異常です。異常だけど現実です。正しいか間違っているか、ではなくて、それでも生きなきゃいけない。切れるカードは、そう多くないはずなので。だったら水商売覚悟で腹括って何でもやってみりゃいいですよ、と私なんかは経験上思っちゃいますけど。

わたしの実存は水の中、です。

プレカリアートは「社会の最底辺」だっていいますけど、本当にそうなんでしょうか?私にははそうは思えないし、まだまだ守っている、それぞれのプライドがあるんだろうと思うし、そのプライドを守って死んだほうが幸せなことだってあると思うんですよ。(極論ですけど)

「弱者救済」とかって、その雨宮さんと周辺の人たちが「社会正義」感で「正義」に自己陶酔したら、まずいと思う。それじゃやっぱり過去の左翼運動の失敗を繰り返すだけだろうと思います。

水の中から「拡散」の在りかたを言い換えますと、欲しいものを手に入れる方法は「正攻法」でも「強奪」でもダメで、そっと「寝取れ」です。(笑)冷静に、判断したいところですね。

で、来週は必ず買いますね。「ロスジェネ」