広場ビジネス

話が日を追うごとにどんどんラジカルになっていってますけど(笑)、そういう場面なんですかね。今。

プラットフォームとコンテンツ。


今ここは「はてなダイアリー」。はてなという上場企業が運営するプラットフォームです。私がリスペクトしてここにも何度が登場しているダラリさんは「アメーバブログサイバーエージェントという上場企業が運営する、これもプラットフォームです。私やったことないんですけど、SNSっていうんでミクシィというのもあって、これも上場会社が運営しているプラットフォームです。

それぞれまあ特徴があって、皆さん何らかの基準で選択しているわけですけど(私は無料であれば、別にはてなでもアメーバでもよいんで基準がほとんどないんですけど(笑))プラットフォームというのは、「広場」ですよね。

欧米には昔からあって、日本には根付かなかった文化の一つですけど、広場を提供する、というのが、ネット時代に新興企業が伸びる条件のように思います。

広場、ですから、どんな人が集まってくるかは集まってくるまで分かりませんが、集まってくるのは「市民」です。ここでは私も、「はてな市民」って言われます。「市民」概念、つまり民主主義です。

ビルゲイツもスティージョブズも、元ヒッピーですけど、だからパーソナルコンピュータの世界は元々「民主主義」が基盤にあったりしますって話は昔なんかで読んだことがあります。

インターネット上のこの民主主義「広場」を彩るのは「コンテンツ」です。広場のルールは今のところ民主主義で資本主義、ですから、広場を彩るコンテンツは資本主義ルールです。つまりそこでは差異化とアピール合戦があり、「より人に選ばれる」ものを作ることが商売上は命題になります。

「コンテンツビジネス」という言葉があるけど、「プラットフォームビジネス」という言葉はないですね。プラットフォームというのは「お金をもうける」という資本主義の原則が2次的(副次的)になるからだと思います。つまり、「人を集めよう」が先で、「人が集まれば何かビジネスになるハズだ」の順番だから。前に媒体コンテンツビジネス立ち上げに参加したときに、3万人だか5万人集まれば、メディアになって、ビジネスが起こる、とかいうのを調べた記憶がありますけど。

さて、そこでまた昨日のロスジェネの話ですけど、昨日のお話は、つまり「超左翼」を先鋭化したコンテンツにしてしまうのはどうなんだろう?っていうことですね。今世の中を動かすのなら「コンテンツ」を作るのではなくて「プラットフォーム」だけを用意する、にしたほうがよいのでは?、と。

民主主義という広場の中で、先鋭化した資本主義ってもはや宗教です。(信者は企業と消費者だね)そのシステムからボロボロと脱落していく人たちを何とかしたい!っていうことがロスジェネ的なものの意図ですよね。

そこでまた対抗して、「我々はこうである」という明確で先鋭的でコンテンツ性(宗教性)を持ったものを同じ広場の中で作ってしまったら。。過去の失敗をまた繰り返すのではないのかな、が昨日のお話です。宗教に宗教で戦ってはいけないのは歴史の語るところです。

だから、まずはポロポロと脱落していく人がゆるく集まる「広場」を作ってあつめてみて、そこでどういうアクションをしていくか、てのが順番なんじゃないかなあ、と。

民主主義という広場で、人の上に立って何かを動かそうとする指導者の条件は「大衆の要望を事前に察知する」能力があること、です。大衆の要望を事前に察知するには、普段の「対話」の積み重ねに時間をかけておいて、何か決断が迫られるときに、蓄積しておいた情報をサマリにして、自ら判断をする。だから大衆は従うんですね。今の政治家が不毛なのは、対話をしないから。政治的判断が国民に意志と切り離されてしまったから、ってどこでもある批評ですけど、これってシンプルです。

決断を迫られたときになって初めて「みなさんどう思いますか?」と聞いてまわっては遅いし、それではそもそも決断がいつまでもできない。無理やり独断するから愚かな決断をしてしまう。(たくさんそういう指導者が歴史にはいるわけですけど)だから民主主義は資本主義に捨てられた。いろんな人間と対話を積み重ねる、というのは誰にでも出来ることではそもそもないしね。だから「お金が儲かりゃ文句ねえだろ」にしたわけです。(笑)

対話は、サイバー空間では出来ません。文字だけの情報で人の要望は分かりませんからね。表情、五感。要望は皮膚感覚で知り察知するものだから、ネット上で民主主義的「広場」という場は設定できても、そこで何かが動いていく、という広場の成熟は不可能なわけです。

広場を作って、広場を成熟させ、人が幸せに生きていく、という業は、ネットでは出来ない。「リアル広場」って、それがビジネスとして成り立つのかどうか分からないけど、ネット上では成り立つわけなので、考えてみることは面白いと思うし、何か主体性が見える「ロスジェネ」に、だからそういうこと、考えてないかな、と。

プラットフォーム=広場=包括的な知=「〜主義」
コンテンツ=彩り=局所的な知=「〜教」

って感じでまとめておきますか。

ここまで温めて、週末に満を持して買いにいきます。(まだ買ってません(笑))