「普通」という権力

今度は東北のほうで、高校2年生の女の子が教員の母親を刺したそうです。
ここで2回ほど話題にした川口父親刺殺の中3の女の子は、その後の報道で精神鑑定にまわされることになってるそうですけど。。

「家族の問題」というのが特に取り沙汰されたのは、神戸の酒鬼薔薇事件の時だったと思います。ちょとその頃アダルトチルドレンとかパラサイトシングルとか、そういう造語がたくさん公の場にでてきてました。今、家族間殺人とかが起こっている家族世代は、きっとその頃子育てし始めた人々だったと思うんですけど、プスプス刺されちゃって、大変です。

私は人付き合いは、きっと深くて狭いほうだと思うんですけど、深く付き合うと、どうしても話はその人の家族の問題に行きます。家族って問題があるほうが当たり前だと私は思っていて、問題がない(幸せです)というのは、逆に疑ってしまう癖があります。(笑)

社会を構成する全てのものは「幻想」である、と言ったのは岸田秀で、それと家族というものについては過去に書いていますけども(http://d.hatena.ne.jp/fraflo/20050903)、やっぱり核家族化というのと多くの人間が短期に移動を繰り返す、という2つのことが結果的には家族や個人の心の問題を多く生んだと思うし、それは複合的に「仕方がない」ので、それを責めても意味がないのですけど。

私がリスペクトするある女の子は、アダルトチルドレンでした。様々な苦境を乗り越えて、アダルトチルドレンである自分から脱却しようと、自分でやりたいことを見つけて、自立しようと試みる。それをまわりは足を引っ張ることなく見守ることの大切さと、アダルトチルドレンである自分を理解してくれる場を持つことが大切だと、その娘は身をもって私に教えてくれましたし、一緒にいることで学びました。

私もアダルトチルドレンだったかといえばきっとそうで、それを克服するのに中学から20歳ぐらいの間に大変な格闘をしたような気がしますけど(笑)、そのリスペクトの女の子も同じ時期に大変な自己との格闘をしたみたいです。

昔は、アダルトチルドレンというとアルコール依存症の親の子供、という意味ですが、今はアルコールだけでなく、仕事依存、セックス依存、ギャンブル依存、母子関係依存、なんでも依存傾向が「程度(普通)」を超える親の子供は、全てアダルトチルドレンと言うそうなので。て言ったら、みんな多かれ少なかれそうなんじゃないすかね、とは思います。

で、ですけど、問題は「普通」ってなんだよ、と思うんですよ。(笑)どこが「程度」で普通なんでしょ?と。
おそらく「普通=テレビ(他メディア)」ですかね、と思うんです。メディアが作る家族像。演出されるドキュメント。それを軸にした「普通」という権力が、人を縛ってやいませんかね、と。

家族には常に何らか問題があって、それを構成する個人にも何らか問題があって、それと無理なく付き合っていくといったほうが健全で「普通」だと私は思ってるわけです。

人を実際に殺すかどうか、はまた別の話ですけど、人を殺したり殺されたりする危険性は身近に現実にある。そういう物事への向き合い方(付き合い方)や生命力を「普通」は人から奪ってしまうし、「普通」という権力は、その中3の女の子の存在のように、問題の本質と一緒に隠蔽してしまう。

自分のリアルは隠蔽したり見ないようにして、どこかで捏造された「普通」と「常識」で安心して動く大人に、精神鑑定にまわされ変人扱いされる中3の女の子の気持ちってどうなんだろうなって、その孤独さを想像すると、こうなんとなく、泣けてきますけど。

「普通」に狂ったフリするしか、生きる道がない、という辛い現実を、「普通」は強要したりもします。

締めが、かなり暗くなってしまいました。(笑)