メルト感覚

最近なんとなくですけど、「性のタブー」系の話題がよく中吊なんかに書いてある気がします。

「人の不幸は蜜の味」じゃないですけど、誰が不幸だとか悪いだとかボロボロだとか、そんな話ばっかりがメディアに展開されて辟易しますけど世相ですかね。

「不幸」の象徴として、家族の崩壊は格好のネタです。家族が崩壊すると、つまりタブーが打ち破られる、ということで、W不倫だとか近親相姦とかドメスティックバイオレンスとかなんだとか、話題に事欠きません。

人間は元々本能が壊れた動物であって、あなたのまわりにあるものはすべて、人間が生きていくために後から作り出した物語、幻想である、という「唯幻論」というのを提唱している岸田秀さんはここにも何度か出てきてますけど、氏に言わせると、「家族」というものが幻想であることは勿論、「性欲」というものも幻想だということになるそうです。

家族(の在り方とか制度)が幻想だというのは、まあそうだよねってスグに分かりますけど、性欲も幻想なのかあ、とは思いました。幻想だから物語がたくさん作られ(例えばセックスしすぎてはよくないとか、女は性欲をむき出しにしてはいけない、とかもろもろの都市伝説のような性にまつわる物語ですけど)、だから人間は動物と違って「不能者」もいるし「性倒錯者」もいる、つまり「性欲」は「趣味」である、ということになるらしいですね。

ですから、「性のタブー」にまつわることも、タブーという物語の設定があるが故に快楽を増幅させる、という背反の関係があるわけですけど、それって一面本当だけど、一面そうじゃないってわたしなんかは思います。

「いとことセックスした」というある女性の告白があって、いとことのセックスは他の人と全然違っていて、「肌が溶け合っちゃうような感じだった」と言う発言があるんですね。だから、これはやっぱり危険だということで、お互い深みにハマる前に離れた、と。

確かに、そこに物語があって、「今わたしは禁断を破っている」という意識が、快楽を喚起していることも事実だとは思うんですけど、この「溶け合う肌感覚」ってのは幻想なのか?とも思うんですよね。

この「肌の溶け合い」の表現に出会ったのは2回目ですけどね。近親相姦はしてないですけど(笑)溶け合うほど肌合いが驚くほどよい、というのはあると思いますよ。あくまで「普通」「悪い」との対比で個人の経験に起因する相対的な話に過ぎませんけど、その感覚は相手をどれだけ好きかどうかという問題とは別に存在しているような気がします。

10代の終わり頃にふとその瞬間に出会ったとき、「死ぬかも」と思ってすぐに逃げました。いとこセックスの話は、気持ちわかる気がします。、

これは先回書いた「並走と並走」に繋がるんですけど、それって足元がズブズブと沈殿していくんですよ。つまり他はどうでもよくなってしまう。昨日の話でいくと「並走」でも「併走」でもなく、立ちすくむでもなく、地面に穴掘って自ら埋まるって、そんな感じです。(笑)

ここにもよく出てきた単語ですけど「肌合い」とか「皮膚感覚」っていう類のことが、そういうメルト感覚さえも「唯幻論」、つまり現実ではなくて幻想です、となると、「根がオミズ」にはつらいですね。(笑)

わたしは昨日の話で「自分のことはよく分かりません」と書きました。自分のことなんてよく分からないのですけど、皮膚の感覚とか、脳とか言語とかで思考をイジる前の、気配とか「ピンときた」みたいな、何だかよくわからない自分の内部からの「提示」に素直に順応する身体なんですよね。オミズは。だから、「よくわかりません」を放置できるのかもしれません。

「見る前に跳べ」ではないですけど、それが「本能的」と呼べるものかどうかは別ですけど、「本能」と「幻想」、「現実」と「物語」、をつなぐ「何かよくわからないもの」って、やっぱりあるんだと思うんですけどね。