共産党ブームと「男の子」の現状

今、共産党が「ブーム」らしい。なんだろう「ブーム」って。(笑

ちょっとびっくりしてしまうけど、専門書が置いてないようなちょっとしたエキナカの本屋にも、小林多喜二の「蟹工船」が置いてあるぐらいブームです確かに。小林多喜二ドストエフスキーがもの凄く若い人に読まれている現世ってどうよっていうのは、半年ぐらい前から私のまわりでは話題になっていましたが、ここんとこ、メディアもだいぶ取り扱いはじめてます。

私は蟹工船とか、戦後ですけど鎌田慧の「絶望工場」シリーズとかは高校から大学にかけて読みました。何で読んだか、は忘れましたけど(笑)、おそらく下層若者文化を追っかけていたら、そこに辿りついて「これこそがリアル」と90年代前半当時でしたけど、面白く深刻に読みました。
それは目に見えるものへの当時からの違和だったと思いますけど、まわりにはとてもいえませんでしたねえ。だって暗すぎるもんね。酒もまずくなるし。(笑)だから一人の世界で完結していたものでした。

それがいまや、どこの本屋にも置いてあるんですよ。びっくりです。

ん?おかしいな、の違和感は、わーって人が移動するのを見ながら、いつも感じてきました。

例えば音楽でミリオンセラーが続出し始めた時期(90年代中盤)もそれが怖かったし、小泉政権が圧勝したときも、そして今回のこの件も。

今は、若者のその支持(救済願望)を、共産党は果たして受け止めきれるのか?的な言説となっていますけれども、どうなんでしょうかねえ。

アメリカでは、オバマ候補(ノッチ)が既に、日本の一歩先を行っていて、具体的な政策を持って現在大統領選挙を戦っているわけですけど(ちょいと劣勢ですね)、日本共産党(対保守派)にヒーローは出るかなあ、と思います。えらい勢いで党員が増えてるらしいので、優秀な人も集まってきてはいるでしょうけどねえ。


そこで特に知りたいのは、共産党に急速に集まってきている人々の「男女比」です。今調べきれてないんですけど、おそらく圧倒的に「男」なんだろうな、と。


ここのブログではずーっとそうでしたけど、オリンピックが終わったメディアでは「女の子の強さ」についての論調がやっと活発になってきていますよね。

そうそう、こんな社会こそ、女の子が強いのです。男の子は認めて、かっこつけたり必要以上にふてくされたりせずに、淡々としかし地道に生きるべきだと思うんですけど、大衆(非権力)が動いて何かが起こる時、「女性」はどういう動きをするんだろう?と思うのです。

「差別」というのがあって、「女性差別」というのもあって、60年代に「ウーマンリブ」とかあって、戦前も平塚らいてうとかが動いたりしたけど、それは作られた「男性社会」に対しての運動であるわけで、女性はずーっと差別されてきた、というわけではない。女性が権力を持っていた時代だってあったわけだし。

つまり、「男性社会」というのは、何か社会が動くときに主体となった男の子が(だって混乱期は腕力勝負が必要になることがあるから、どうしてもそうなるでしょう)新しい社会の枠組みを作るときに、潜在的な「女性への恐怖」から、女性を枠から外す(社会的な力を無くす)、みたいなのって過去長い間にずっと繰り返されてきたんじゃないなかと思うんですよ。どの時代も、きっと不安定な時代は女性が強かったのでしょうね。今立ち会っている時代は、マクロ的にはどうなんだろうなと。

この話は「男とは」「女とは」みたいな話に行っちゃうので、ここで止めますけど(笑)、ヒラリーがオバマに負けた背景だって、そりゃ政策的な背景はあるにせよ、もっと潜在的で本質的なものってあるんじゃないですかねえ。


前にもここに書いたんですけど、私の子供は嬢2人です。確かに今の時代男の子は育てにくい、と本当に思うんですよ。夢や希望は、現実から根ざさないといけないけど、その現実が男の子には、辛すぎるものが多いんです。だから徒党を組んで「数と力」で社会を変えようと男の子はするんだろうと思うから。

小学校に上がる前の子供の生態を見てたって、女の子は現実的で行動的、男の子はいつも何かに怯えている。(笑)

私は「数と力」にものをいわせる世界が嫌いだから、ある覚悟をしているつもりです。その覚悟を人に伝えきるのは難しい。つまり、そもそも息子だろうが部下だろうが、自分以外の男の子を社会に摘要させる能力がないんだと思うんですよ。だから今まで女の子と仕事するほうが多かったんですけど、それも必然だったのかもしれませんね。大抵の男の子には「まああいつ変わってるから」みたいな扱いしか、受けたことないんですよね。(笑)
私の定義ですけど「速い車」と「格闘技」とか好きな男の子とは、いつも分かり合えません。(笑)分かり合おうとする努力はいつもするんですけど。

逆にいうと、そういう覚悟を持ってる男の人の子供って、娘が多いですよね。私が有名無名に関わらずリスペクトしている人々(そういう覚悟を持てと私にメッセージを発してきた人々)は、みんな子供はなぜか「娘」ってパターンですね。

それはきっと必然で、何らか因果関係はあるかもしれません。いずれにしても、それがいいのか悪いのか、は別にして、そういう自分については自己認識しておこうと思ってます。

認識しつつ、「数と力」に頼らず、当面私のような男に馴染めない男の子が社会を生きるためにはどうするか?を懲りずに仮説立てしているわけですけど。

ま、それはさておき、この共産党ブームの行く末はどうなるのでしょうか。一過性で終わらないといいですね。楽しませてくれるといいですけど。