恋愛トラップ

たまたまですけど、10年以上付き合った彼氏と別れたという女の子の話を1ヶ月で2回聞きました。

ひとりはボロボロで(うちで介抱)、ひとりは立ち直っていたけど、立ち直ってる女の子のほう(仮にA子ちゃんとしますが)と飯食いながら話していたら、なんでも彼に好きな人が出来てしまい、フラれたそうですが、彼の新しい相手の女性のことは、何も知らないんだそうです。
A子ちゃんは、綺麗で明るいし元来モテる人だから、もしやA子ちゃんに好意を持っているどこかの男が、別れさせたいと思って「別れさせ屋」に依頼したんじゃないのって。(笑)


「恋愛トラップ」。


半分冗談、半分本気でこの話してましたけど、でも仮にも10年付き合ってて、相手の交際関係もある程度把握してるのに、その相手のこと知らない、となると、やっぱりちょっとあり得るよね、と思います。ま、人間疑ったらキリないんですけどね。(だから冗談半分です。)


現実にちゃんとあるもんね。使った人もひとりだけ、知っています。(それはまあ、探偵に毛が生えたようなところだったけど)


「執着」という言葉があるけど、なかなかこれを拭い去るのは難しい。離婚しようとしている夫婦を弁護士ばりに仲裁している人を、今脇から見守っているのだけど、本当にその夫婦間で悪意ばかりが渦巻くんですよ。「愛憎」というやつだけど、「きっと『愛』ではないんだ」と仲裁に入っている人生の先輩は脇で見ている私に言っていました。

「愛」ではなくて「喪失感」が「執着」を生み、悪意をまわして相手に自分の存在を知らしめ。喪失感を埋めようとする。それで埋めつつ、更に、他の誰かで、押し寄せる「喪失感」を埋める。(愛憎の相手が忘れられれば、この場合ある程度手近の誰でもよい、が悲しいところですけど)
全部見ているけど、人間、本質は綺麗な生き物ではないし、私も潔癖な人生ではないので、それも仕方がないよね、と思ってます。


この夫婦みたいに、1対1の、丸腰の勝負だったら「当人同士」の問題でいいけどね。


で、「恋愛トラップ」です。
「恋愛トラップ」は、そういうレベルではないよね。常軌を逸している。DVとか、やむにやまれる事情は除き、だけど。

私の軸のひとつに「来る者拒まず去る者追わず」というのがあります。要は「相手に期待しすぎない」ということですが、恋愛トラップで仮にお目当ての相手をモノに出来た人は、その後充足した道を歩めるんでしょうか。。
そのお目当ての相手が期待に応え続けることができる以外に、充足の道はないと思うんですけど、果たしてそんなことはあり得るんでしょうかねえ??(あり得ないよね。。)

まあ、上記のような「相手に期待しすぎる」は問題で、バランスを著しく崩してしまうけど「相手に期待しなさすぎる」っていうのも同類なんですよね。よく私は人からご指摘を受け、反省する次第です。
「期待しなさすぎる」は、つまり情動が動かないように見えるから、相手がよっぽど自信家でない場合は、きっと不安な気持ちにさせてしまうのでしょう。

つまり、「バランスがいい」というのは、「真ん中でピタッと止まっている状態」ではなくて、シーソーみたいに「左右に同じように振れながら動き続けている状態」なんだというのが、最近分かったんです。(すいません。ほんと最近です)

人間ひとりでは生きていけない、というのは、揺るがない本質なのだけど、だからこそ、甘えることも、期待することも、突き放すことも、相手からの要求を受ける、なんでもいいけども、そういう情動のやり取りが、シーソーのように行われることが「生きた関係」なんでしょうか。
あ、これは男女関係だけではなくて、親子だって、仕事だって、何だってそうだと思いますよ。


「トラップ」に話戻します。


しかし、これだけ世の中たくさんの人がいて、どこでどんな出会いが待っているかも分からないのに、トラップかけるほど、ひとりの相手に執着しなくてもねえって、正直思っちゃいます。それでも、恋愛トラップビジネスなんてない大昔から、その「執着」は、たくさんのドラマツルギーを生んできたのもまた事実でもあるわけです。だから「そんなクールに割り切れるかよ」も、ごもっとも、です。

いづれにしても、その離婚に至る(現在進行中=リアル)のプロセスを見ていて、人間は「怖い」と思うと同時に「面白い」と思います。リアルを大切にしようと意識してきたんですけど、それでも、見たことのない、聞いたことのない、考えたことのない、新たな人間の一面が、ポンポン出てきます。

それを仲裁している人に素直に伝えると、瀬戸内寂聴じゃないけどさ、生きてる実感、生を燃やすというのは、ああいうドロドロしたことを自らの皮膚感覚で知ることだよね、と。
のたうちまわっても、生き続けるタフさ、それでも生きろ、と。息が止まるような複雑な人間関係に巻き込まれ、修羅場をくぐり、醜さを知り、それでもまた人間に惚れ、生を燃やし(以下リピート)

特に90年代からは、ネットを通じて様々な「リアル」がパッケージ化されて疑似体験できるようになって、最近世間の皆さんはヴァーチャル(よりリアルに近い擬似)に慣れてしまって、こういう寂聴的な、てめえの皮膚感覚リアリズムは「地下化」していくよね。


だから、みんな「地下化」した部分は単純に怖いから、お金払って済まそうというのが「恋愛トラップ」の儲けどころなんだけど、だから、戻ってきた「リアル」(別れさせた後の現実)はどうなんだろうねえって、更に気になりますけどね。


今度は自分が別れたいからリピートで頼む、ってそういうオチなんですかね。。(笑


そういう循環ビジネスモデルまで考えているとしたら、「恋愛トラップ」大したものですけど。