コージ2008(Featマサオ)

今田耕司の「コージ2000」(プロデュース・テイトウワ)のリメイクではなくて、今日の話題は若松コージ(孝二)と足立正生です。(コージ2000は、今田耕司の化粧した顔のニューウェーブぶりとか、企画自体良かったですよね。)

恋愛トラップの次は若松孝二足立正生かよ、と話題は「エログロアンダーグラウンド」に偏ってる感じもしますけど(笑)、今年の3月に、ちょっとしたバカンスがあったので、買ったまま放置されていた足立正生の「映画×革命」を読み、5月のGWに「とても大切なヒト」と、若松孝二の「実録 連合赤軍」を見てきました。

私は、過去記事を見ていただくと分かるように「団塊JR」世代に属する小市民ですが、世代的に若松孝二足立正生に興味があるって人はどういう人なんだろう?と純粋に思います。(知らない方をウィキに飛びましょう。便利な時代です。)

入り口としては、「映画(ピンクまたはATG)」「60年代新宿文化」「革命運動」あたりから派生する様々なサブカルファクターから、入ってくるものなんでしょうか。。

そういう私は、日本の、特に明治以降の「ユースカルチャー史」を貪るように調べながら、数年新宿に暮らていたので、その方面の「新宿戦後史」から2人を知ったクチですけど、今も一緒に公私でコラボレーションしている人が元革命家の人ですし、そういう人に連れられてゴールデン街に飲みにいって、50代60代の大先輩方とお酒を酌み交わすという身分不相応なことも多々あるので、まあ、個人的には、そんなところで未だに「あの世界」とはずっと繋がっています。(縁です)といいつつも私は「右」でも「左」でもないです。

ブログに「革命」とかキーワード入れると、公安にマークされますかね。(笑)ネットも生きずらい世界になってますね。

さて「映画×革命」も「実録・連合赤軍」もへヴィこの上ない表象物でしたけど、歴史的価値の高いものを残したなあ(残したいなあ)と個人的には思います。

2人とも、知的にバカで、中途半端なことを最終的にしない、という点で一致しますが、そのスケール、例えば

・70過ぎて私財投げ打って2億借金して作りたい映画を作るスケール
・映画監督、先鋭文化人といった国内の既得権益を簡単に捨てて、革命を求めてパレスチナまで本当にパッと行っちゃうスケール

とかとか、まあ武勇伝上げたらキリがありませんけど、内容はさておき、その「思い立ったら即行動」って感じに共感します。

若松孝二が、なぜ現代において、「実録・連合赤軍」を作ったか、というのはいろいろなところで語られてますし、本人も語るところですが、私が見に行った時は、若い人はあまりいなくて、全共闘運動や革命活動の渦中にいた世代が、ほとんどでした。

田原総一郎は、膝に握りこぶしで手を置いたまま3時間映画を見た(そうしないと逃げ出しそうだった)と書いてますが、同じような人、いましたね。私とコラボしている人も「とても怖くて見れない」と未だに見てらっしゃいません。当時血で血を争う戦いをしてきたんですから、当たり前ですけども。

映画や本の内容に関する批評はとりあえず置いておいて、マクロに「マイノリティ」ということを考えます。(しかし、坂井真紀の女優魂には、惚れました)

文化が継承されていく中で、若松孝二足立正生という名前は、ある意味一部では「ビックネーム」としてあるわけですけど(それでも一部だね)、当時はもっときつかったということは足立正生の本を読んでいると、分かります。私の近くにいる人も「極左」の中のマイノリティ組織、その組織の中でもマイノリティ派閥、ということで、常に虐げられた状態で、今まで「生き延びて」きたそうです。(そのプロセスは、感動さえ覚えますが。)

意識的に「マイノリティ」というのと、結果的に「マイノリティ」というのは、質がまるで違いますけど、特に80年代の「ニューウェーブ」から私の90年代世代の時って「意識的にマイノリティ競争」みたいなものもあったように思いますね。時代が平準化、均質化、テレビ劇場化、したために起こったことだと思いますけど。

おれは人と違う、とやってきたことや、おれはあそこのサラリーマンとは違う生き方をするんだ、と息巻いてきたことがありますよね。団塊世代でもフォークソングで「サラリーマンをバカにしちゃ駄目よ」と歌う歌がありますので精神構造は大して変わらないと思うんですけど、「大人VS若者」「社会VS若者」という構図で時代を捉えてみると、その「マイノリティ」の状態や「マイノリティに向かう」の質の違いは明確にあるように思います。

私は、おそらく意識的に、あるいは結果的にもマイノリティだった若松や足立の表現を見聞したり、今一緒に諸先輩方と飲んだりして思うのは、「反骨心」というもの、「あらゆる常識は疑え」という視座とか。そういうものの深さのレベルが違っていて、如何に国家公安(笑)のために、私たち世代は虚勢され、飼いならされてきたのか、を個人的には痛感します。
それはどっちがいいとか悪いとかいうのではなくて、純粋に育った時代の差異が明確だということです。

別に「ピンク映画の巨匠」でなくても「活動家で前科アリ」でなくてもいいんですけど、「中流幻想の幸せ」がまず「当たり前」の前提で育ってきた世代とそうでない世代の、この差異って大きいと思うんです。いい意味でも、悪い意味でも。

世代交代や事業承継、ノウハウや技能、思想や観念の「引継ぎ」が叫ばれて久しい昨今ですが、なんかそういった差異の事実を認識せずに、これらはとても達成できるものではない、と本来は思います。

特に今、長いものに巻かれることを拒否して(既に社会に「長いもの」が少ないと言い換えてもいいですけど(笑))、いざ自分みずからが行動を起こそうとする時、ふと考えてみる必要が、あると思いますね。今ある常識や自分のやっていることをちゃんと丹念に疑っているか、ぐらいは。その覚悟が現代は必要に思います。

その「手間」をしないと、とても時代を前向きに変えていく動力は生まれない気がするわけで、諸先輩の残す表現や語られる経験や過去の情熱は(そりゃ時には疎ましいと感じることもないわけではないですけど(笑))どこかに行ってしまうのかなということもフト思い、それはとても「寂しい」ので、今縁あって、そういった「過去の智慧」の伝導の立場にいるとすれば、皮膚感覚を頼りに、まずは丹念に、ほいほいと出かけていって、諸先輩方から勝手に学び取る作業をしたいなと思います。

その時代、その場所に生きていないと感じられない事はあります。それが良いことか、悪いことか、正しいことか、間違ったことか、そういうことは関係がなく「でもそれがあるから、今があるよね」の視座と単純な敬意は大事ですよね。

過去話に自慢や誇張は付き物ですけど(笑)、まあそれは差っ引いて敬意で受け止める。私のような境遇にいる方が同世代にどのぐらいいるのか分かりませんけど、もし「ああ、これは大事だよね」とか「伝えたい」と思うことで、「あんまりみんな伝承しないだろうな」ってことには、もっと積極的に感覚的に「伝道師」の役割負っちゃったらいいと思います。難しく考えず、食わず嫌いをせず、と。


そういう意味でも、若松孝二の「実録・」も足立正生の半生も、この時期に出会えてよかったな、と単純にそう思っています。

足立正生の本のくだりで、60年代前後に、オノヨーコがジョンケージを日本に呼んで、コンサート+ハプニングという催しをやったというのがあるんですけど、僕は初めて「そんなことがあった」ことを知りましたけど、その局所情報、なんだかすごいねって、ミクロだとそういうことにイチイチ感動してました(笑