ブラザー&シスター

先日新聞を読んでいたら、30代の女性が、オンナノコの孫を切望する自分のお姑さんから「あなたたち夫婦は勝手だからオトコノコしか生まれないのよ」と言われて、気分を害しているし、子育てのモチベーションが下がった、という話が載ってました。

なんで勝手だからオトコノコかというと、老後オトコノコは親の面倒を見ないので、孤独に死んでいくのだということらしいですね。人に徳を積める人間にしか、オンナノコは生まれない。つまり、徳のある人は老後動けなくなっても、ムスメが面倒を見てくれるのだ、と。

わたしどのエントリーか忘れましたけど、わたし自身がムスメ二人がいて、まわりからもオトコノコが生まれそうにないと言われていて、有名無名問わずわたしのメンターも、オトコノコ(息子)がいたためしがない、という不思議な符号の一致を見ることが出来ると書いた記憶があるですけども、その因果関係は「なんかあるようなないような」というようなもので、おそらくわたしが生きている間に解明されないと思うんですけど、その新聞に載っていた説も含めて、その類の話は面白いですね。

他に人が言っているので聞いたことあるのは、オトコが強い(精力がハンパではない)場合、オンナノコが生まれるという説がありますね。とにかく内向きでない外向きの力が強くて、奥さんだろうが友人だろうが子供だろうが飲み屋のおねいちゃんだろうが。平等に接して平等にエネルギー使うタイプというのがいる、と。

勿論そういう人は、だからアッチの精力も強くて、ホスピタリティもハンパではないけど、性欲もハンパではない、みたいなイメージが、ムスメしか生まれない男のイメージとして、あるそうです。(笑)

それをわたしに言った人は、息子が2人いる人なんですけど、だからムスメしか生まれない男の類型を見てみると、やっぱりおれはそのスケベ度合いでも、甲斐性の面でも、かなわねえんだよな、みたいなことを言っていて、ふーん、それも面白い説だなと思って、聞いてました。

だから、というわけではないですけど、わたしのメンターの一人なんかは自分で掟を作っていて、自分の娘より若いオンナノコは恋愛対象から外す、ということを掟にしている人がいて(笑)、あー確かに「ムスメと同じ歳かあ」と思えば、誰でも真剣に何かを受け止めてしまうホスピタリティ(とウラハラの欲)に関して、心の自制も少しは効くんだろうなとも思います。(笑)

うーん、どうなんでしょうかねえ。どれも信憑性がありそうでなさそうで、これといった確証はないんですけどもね。

わたしはムスコが欲しいとは一度も思ったことがないし、ムスメの相手は、違う動物として感覚が違うので、おもしろいですよ。だけど、おもしろいけど、孤独です。こうなんていうか、黙って肩を叩き合う仲間は、家族にいないわけなので。(笑)

だからわたしは思うに、やっぱり一番家庭運に恵まれている、というか、そういう部分で徳のある人は、オトコノコとオンナノコ、両方生まれてる人なんでしょうと思いますよ。オトコノコしか生まれない家庭も、オンナノコしか生まれない家庭も、そういう意味じゃ家庭運に恵まれてないというかバランスが悪いというか。

もっと詳しく言えば、ムスコしかいない家庭の奥様と、ムスメしかいない家庭の旦那様に、そういう気配があるんでしょうね。それを解消するのは前者でいう奥様の、後者でいう旦那様の孤独とどう対峙するか、諦めずにコミニュケーションを取り続けられるか、にかかっている。

いや、大げさではなくて、そう思います。オトコもオンナもなくてその前に人間でしょう、というレベルの話の次として、この話題はありますけどね。家族の中で、異なる孤立した個体が、それ以外に対して行うコミニュケーションと振る舞い方が、その家族の成否を決めている。

昔は子沢山でしたから、たくさん産めば確率で、男女が混在する確率は高くなる。でも亡くなる確率も高かったでしょう。でも家族内の男女混合比率が高くなるということで作られる家族というものの意味合い、もしくはその場で育まれる人間の性質というものがあったはずだと思うんです。

逆に言えば、谷崎潤一郎の「細雪」なんかが小説の題材になるぐらいだったんだと思うんですけどね。(わたしあの小説ガキの頃読みましたけど、好きですねえ)

それが日本の戦後の少子化と医療の発達など複合的な要因で、人間は死ななくなったけど、あまり産まれなくもなってきた状況で、今後人間の性質ってのは、どう変わっていって、今後どうなっていくでしょう。

わたしはその意味で、「ムスコしかいなかった母親」に育てられて「ムスメしかいない父親」として過ごすわけですけど(たぶん今後誰かとどこかで(笑)出産の機会があったとしても、ムスコは生まれない気がします。)さて、それはどういう意味があるのかなあと、考えてみてると面白いですね。

本質的な孤独は諦めましょう、などと、ここのブログでは、何度も書いてきているのですけど、その背景には、その孤独な母親を見てきたことと、自分自身が家族の中で既に本質的に孤独である、という背景が、きっとあるように思いますね。

ま、結婚も出産もしてねえ奴も孤独じゃん、ということもあると思いますけども、わたし結婚する前も後も、孤独さの感覚は変わりませんね。目の前に家族がいるけれども「いない」、綿密な言葉を介さないと分かり合えないということ、なんどもそれを個体として痛感する機会がTPOを選ばずに訪れるということで、物理的に一人、というよりも実は孤独を感じる機会も多いかもねと、わたしは思ったりしますけどね。

そういう意味では戦後の社会状況で、だったら恋人だってめんどい、という人もたくさん出てくるのは当然で、そりゃ気分で生きてれば、当たり前に出てくるめんどくささだろうと、想像に難くないですね。

ま、だからそれを面白がれるバカさがないと、意志で生きる人たち(気分で結婚できない人たち)は、家族はもてないんでしょうね。(苦笑)ま、それもひとつの人生だし、わたしは尊重したいですよ。