再開サヴァイヴァー

2年ぶりのご無沙汰です。

この2年の間は潜伏活動中でしたけど、「FragmentFloors」メンバー個々の動きがまた活発化しそうなので、ここも一応基点として再開することにしました。

メンバーって言っても、別に集まって打ち合わせしたり、合宿したりとかはしません。


ただfragment(断片化)していくfloor(床)の集合(s)である現代を、颯爽と、しかし泥臭く。冷静に、しかし熱く。ダラリと、しかし真面目に。など、いろんなパラドキシカルな振る舞いで社会を生き抜きつつ、振り子のように、様々なバラドキシカルさを支える軸をしっかりと持って、楽しくやりましょう、ということのなんとなくの集まりであって、あとはなんでもいい、というぐらいのゆるさです。

つまり、気まぐれなだけですが、まあ、とにかく、再開します。


さて昨日電車の中で思い出したんですが、私が青二才の頃に聴いたある歌の歌詞です。



狂えばカリスマか。
吼えれば天才か。
死んだら神様か。
何もしなけりゃ生き仏か。



これ、一応20年前のパンクの歌詞なんだけど、秀逸です。


2年前の自分の書いた記事を読み返してみると、着眼していたテーマのひとつは、当時一般的に盛り上がりつつあった「2極化」「格差」といったキーワードですね。私が目にしたのは90年代後半ぐらいに頻出していた「社会学」とか「社会評論」系の本の中で、でしたけど、「そりゃそうだよねえ」とは当時から思ってました。2年前当時は「とうとうここまできちゃったかあ」というのが正直なところでした。

そして2年後の現在はどうか?というと、まさにその方向を更に先鋭化して突き進んでいてもはや這い上がれない場所に閉ざされてしまった人たちが生まれ、あるいは狂い、あるいは吼え、あるいは死に、あるいは何もしない(諦める)という状況が、たくさんニュースになります。


通り魔は、カリスマっすか?


もうひとつしつこく書いていたテーマは「女の子」。
私は男ですけど、どうして男の子は女の子から学ぼうとしないかということを散々書いていますね。当時言いたかったことは、女の子に限らずあらゆる人間に適切な距離(節度)と敬意を持って、もたれかからずに2本足でちゃんと立って生きていくことは出来ないか?といったことが言いたかったように思います。
(男の子からは「女の子にモテタイんです」とか 女の子からは「いい男がいません」とか、多くの人からそういうことをよく聞いてた時期だったから、過剰反応してたところもあったかな)

節度のある距離感が保てず、時にはふてくされ、時には逃げ、時には投げる。そうやってむちゃくちゃにしてしまった人間関係の束の上で狂い、吼え、死に、諦めてしまう。面倒くさいことや手間のかかることを、ニコニコ続けることができない「弱さ」は、社会を生き抜くには致命的だよ、と誰も教えない。人生は、電子レンジのように手軽にチンとはいかないんだよってどうして誰も教えないんだろうね、と思う。

でも女の子には、叫び狂い死に諦める子、少ないでしょう。それはやっぱり「手間」と「愛情」が生きるひとつの手段だもんね女の子は。
(ニコニコと続けてやれる子はちょっと減っているかもしれないけど。)
今こそ、その手間を惜しまず愛情を絶やさない「タフさ」を男の子は女の子にたくさん学ぶべきと言っていたように思います。

「繊細さ=弱さ」は西洋では「バカ」と同義だって話もあるけど(笑)「タフ」に世の中の流れに惑わされず、振り子を保って慈愛と敬意を忘れず、社会状況にフレキシブルに対応できる。そんな複雑で力強い生命力を持った知性は、男女問わず世の中にはたくさんいると思う。ただそういった人々は、今はあまり表には出てこないし、見えにくい。見ようとすると、誰かが狂い、吼えて、邪魔が入る。集中力が殺がれる。今の社会はとてもヒステリックで単細胞的で、まともなことは、見えずらいよね。

そして自分もまた、その社会を作っている一構成員であることはちゃんと自覚して反省しないといけないと思います。


見えないものを見ようとする修練


今の社会は、いろいろ見えにくくて、生きるのは「楽」ではないけど、逆に見えにくいから、見ようとするには労力と創意工夫が必要で、面白くて「楽しい」。が、振り子的で素直な私的現世感です。
手合いのよいソリューションにしがみつかず、心と身体をフルに使って、見えにくい知性を探し、断片化した床を飛び石のごとく移動しつつ、出会い、刺激をもらい、自分を深めていくことが、おそらく人生最大の目的。

深めた先に何があるのかは、よく分かりませんけど。(笑

この場所は、本来忘れやすくて怠慢なので、その目的を見失わない為の些細な修練の場であって、修行途中の中間アウトプットモノローグなのはおそらく2年前と同じです。

まあ人生長いし、ぼちぼち、やりますか。しかし、ちゃんとね。

そんな感じで、よろくしお願いする次第です。