レクイエム続く2023年~バートバカラックを偲ぶ

バートバカラックが大往生でお亡くなりになりまして、レクイエム多き2023年となっておりますが、1月にお亡くなりになった大物ミュージシャンたちに負けず劣らずの追悼の雨に少し驚きました。
 
あたしも勿論後追いでバカラックミュージックを聴いた口で、リアルタイムでは、例えば90年代の、渋谷系からクラブ系、そしてモンド系と流れていく流れの中に、バカラック要素はふんだんに盛り込まれておりましたし、それらの音にあたしらの世代にもどこかしら耳馴染と郷愁が感じられたのは、60年代後半から70年代の歌謡曲で、筒美京平先生をはじめとする服部良一系譜の作編曲家の皆さんのバカラックに影響を受けた諸々の仕事があることが後から分かったりと、バカラック包囲網というのが目に見えずに張り巡らされていたことに気付かされる、ということで、みなさんの追悼の多さに繋がっているのかもしれませんね。
 
 確か大瀧詠一の義理の息子(ムスメ婿)の坂口修さんは日本のバカラック研究の第一人者だったと思います。グレンミラー楽団なんかでも、聴き返してみて思うのは、やはりアメリカの良い時代(40~50年代)の音楽に潜む「ユーモアと余裕」で、それは音楽に限らず、自分の仕事でも同じで、「ユーモアと余裕」を持って出来るように自分を整え、経営者としても環境を整えるわけですが、現代と同じような「暗く長いトンネル不況」「テロ、事件、災害」にあえいでいた70年代の日本で、余裕とユーモアのあるルーツミュージックたちに刺激をうけた大瀧さんや細野さんが、アメリカンポップスのルーツをたどり、自分の作品に投影していたことの、周囲からの「孤立」「変人扱い」について、改めて思いを馳せるのであり、「あなたには悩みというものがあるのですか」と70年代に大瀧さんのラジオに投書が来たという与太話を思い出しつつ。
 
バートバカラックのご冥福をお祈りします。