レクイエム続きますが、寺内タケシ、寺さんが亡くなりました。
あたしが楽器に触れ始めバンドをやり始めるのは80年代中盤、まだバンドは健全な青少年がやるものではない、という偏見はかすかに地方にはありましたが、隠れてやるようなものではなくなっていました。それは煎じ詰めれば寺さんのおかげなのです。
60年代後半から70年代前半、細野さんや大瀧さんはツアー嫌いでしたが、その理由のひとつに楽器を担いで外を歩くのが目立ってイヤ、という理由があったとかなかったとか。目立ちたい、モテたい、じゃなくて、イノセントな音楽好きが音楽活動をするには強固な意志が必要だったことを物語る一説で、まさか現世において、コロナ禍でそれが再帰され、楽器を担いでいるだけで三密野郎と差別され奇異な目で見られ、避けられ、心ない言葉を浴びると言ったバンドマン差別の世界がまた来るとは思ってなかったですけどね。