坂本龍一さんを偲ぶ

年明けからある意味覚悟していた坂本龍一さん(以下教授)の訃報です。レクイエム残しておきたいと思います。
高橋幸宏さんのレクイエムの時に書きましたが、YMO世代でないあたしにとって教授の音楽のリアルタイムは、たぶんゲイシャガールズ(ダウンタウン)だったんじゃないかと思います。
これは何度も書いてますが、自分が物心ついた時に既にポップス界の権化となっていた「ユーミンタツロー、サザン」を若気の至りで意図的に遠ざけたために、個人的に評価が遅れた構造は教授についても同じで、90年代中盤からの70年代和モノ漁りで、改めてYMOに至る流れを知る中で教授の凄さに気付くというパターンでした。
先日、ライブハウスロフトの創始者平野さんのロフト史を読んでましたが、教授は第一号店となる(千歳)烏山ロフト(ただこれはライブハウスではなくて音楽喫茶&BAR)の常連で、近所の音大の女学生のレポートを代筆する代わりに酒をご馳走になっていたという逸話が残されてます。それが1973年頃ですので、その同じころ、達郎さんは大瀧詠一さんに呼ばれてはっぴいえんど一味に加わっており、その後、晴れてライブハウスとして開店する荻窪ロフトと次の西荻ロフトあたりで教授と達郎さんは1974年頃に出会い、その後達郎さんが大瀧さんに教授を紹介し、そこから教授がティンパン集団に入っていくという、どうもその流れが正史のようです。
烏山ロフト以前の教授は、新宿高校時代から学生運動に傾倒し、土地柄、新宿ゴールデン街(その頃は寺山修二、唐十郎大島渚若松孝二らを筆頭とする新宿若者文化が大輪を咲かせている時期)に入りびたるようになり、そこで友部正人さんと出会い、芸大に入学後に友部さんのステージを手伝うようになります。あたしはその友部さんから音楽業界にに繋がっていくのかと思ってたんですけど、どうもそうじゃないことを知ったのはついこの間。歴史というのは奥が深いですね。
ここまでの前フリを書いたのは、教授のユニークさはこの出自にあると、あたしは思っているからです。
はっぴいえんどーティンパンアレーを中心とする日本のロックポップスのイノベーター軍団は、主に港区や世田谷区を中心とするエスカレーター私立に通うご子息ご令嬢を中心とする文化を中心としているわけですけど、おそらくものすごく排他性の高かった(音楽)エリート選民集団に、大瀧さん(いわば東北の星))も達郎さん(いわば城北の星)も教授(いわば新宿の星)も、その才能と実力だけで加わっていくというのが面白いところです。
だから、上述のように、達郎さんと大瀧さんを介して、ティンパンに加わっていくという流れも納得という感じですが、達郎さんは竹早高校、教授は新宿高校、ふたりとも政治の季節を高校時代に直接的に体感しているわけで、同時期に、そういう政治と若者の喧騒を横目に、余暇と余金の私立高校のティンパン集団は、軽井沢で夏休中ダンパで演奏していたってんですから、そのコントラスト。特に達郎さんと教授については、後でよくティンパンに合流したなという感じがしますが、70年代後半の活動を見ると、やっぱり達郎さんと教授、達郎さんと大瀧さん、教授と大瀧さんの活動というのは、ある意味ティンパンアレーの側面史として、少しやっぱりエスカレーター私立の皆さんとは異質なのがよく分かります。
あと加えて、教授の面白さを見るならば、それはアカデミックとストリートの両性具有感のユニークさです。芸大出というアカデミックワイズな出自にも関わらず、新宿高校時代に培ったストリートワイズ感覚も一方で持っている、小泉文夫先生の講義に熱心に聴き入りつつ、ノンアカデミックなロックポップスにも素直に驚く、というより、そんなこと関係なく、属性に関係なくその才能をみとめ、学んでいく、という人間性が教授の礎を作っていったということなんだろうと思います。才能と人間性、訃報で多くの人がその人間性に触れていることでも分かります。。
最後に教授の遺作として、音楽作品ではなくラジオ番組のアーカイブスをリンクしておきたいと思います。ゼロ年代にNHKで行われたラジオ音楽講義、大瀧詠一をナイアガラ大学教授として招いて、教授と川勝正幸さんが生徒に扮して、50年代のロックンロールを学ぶという企画ものです。冒頭10分の会話で既に、大瀧さんと教授の長年に渡る信頼関係が言外から伝わり、ユーモアと知性に溢れた会話が展開されます。
この番組の中に達郎さんはいませんが、「属性異物」として、エスカレーター私立出自の集団に実力だけで入り込んだ大瀧詠一坂本龍一山下達郎の3人の凄さの一端が、この会話を聞いているだけでよく分かるという構図になっていると思います。
お二人の素直さ、無理のなさ、自己相対化と俯瞰の知性、いわば「自分を含む風景をも俯瞰できる」という知性の存在こそが、1970年以降の日本の大衆音楽のレベルを上げるのにどれほど貢献したのか、このラジオを聞きながら(もう100回ぐらい聞いてますが(笑))改めて思うのであります。
このラジオ出演者は川勝さんも含め、誰もいなくなってしまいました。。。謹んでお悔やみ申し上げます。