久々にレクイエムじゃない~山下達郎と大瀧詠一の関係に思うこと~あと真保みゆきさんすごい

久々のレクイエム以外の投稿。文春オンラインの山下達郎ロングインタビューを、山下達郎または日本のロックポップス史の好事家向けに共有します。
 
ポンタさんが亡くなった後の文春オンラインの達郎さんのポンタ追悼インタビューもすごかったけど、今回もかなりマニア向けで、音楽専門誌だってここまで濃いインタビュー掲載できるのかな、な内容が文春に載るのは、聞き手ライターの真保みゆきさんの力量と人間性ですね。
 
今朝新聞お休みで、電車の中で何読もうかと本持って出たんだけど、まったく不要で読みふけりました。新事実の連発というより、ある意味達郎さんの自伝的なまとめ内容。特に坂本龍一との戦友時代の話、教授の出自と対比する形での自己分析、そして大瀧さんとまりやさんの俯瞰的分析、とてもおもしろかったです。
 
大瀧さんとは近親愛憎を超克した存在であるというかたりとともに、重要なひと言が漏れておりますので引用します。★囲みがあたしが重要と思う箇所。
以下引用---
山下「(大瀧さんとは)家族みたいなもので、育った環境も同じ一人っ子で。一人遊びで育ってきたところも似ている。ただ、大瀧さんはその博覧強記ゆえに、厳密な意味でのミュージシャンという枠からは少し外れていたように思えるんですよ。アイディアマンというか、むしろエッセイストとかのほうが、音楽以上にうまくいったんじゃないかと思う」
——“コンセプトの人”ということですか。
山下「★アイディアに興味はあっても、それを音楽的にどう具体化していくかに関しての好奇心、努力というものが、そんなに好きじゃなかったように僕には思えた。★
テクノが出てきた時、これこそ大瀧さん向きだと思って、“コンピューター・ミュージックをやればいいのでは?”とずいぶん勧めたけど、絶対にやらなかったものね。それは今でも不思議です」
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この★囲みの内容は、山下達郎大瀧詠一を音楽家として評価しているということよりももっとスケールの大きな話として師匠であり友人であり同志だったということをよく表していると思います。音楽家の繋がりなんだから、それは音楽で繋がっていて当然で、音楽以外の情報は好事家は落としてしまいがちだけど、そういう狭い視点で見てしまうと、ナイアガラは理解できないという、そういうことの復習ですね。(笑)
 
あと大瀧さんってのは、ミキシングコンソール技術習得、テレビゲーム購入、作品へのリズムボックス使用、全部細野さんより早かった(細野さん、というより世の中よりだいぶ早かった)のに、何故テクノやゲーム音楽に行かなかったのかという疑問があって、全部細野さんが(細野さん自身の従来の天才的器用さで)後から追いこすので、細野さんが手を付けたら自分は手を引く的なことだったのかな、を思っていたんですが、まさに上述の頑なさはきっとそういうことで、日本の大衆音楽の70年代の水準向上は、やはり大瀧細野の果し合いの中で推進された、と言ってよかろうということを証言する一言でした。
 
話は変わり、先週末、地元のソウルバーでずっと仲良くしていただいてる方と、そんなことある?という不思議なご縁と流れがありました。
 
①そもそも地元(東京中央線の俗にいう三寺文化圏)の数多あるbarの中で(一説には30とも50とも言われてますが)、その店で出会うという文化で繋がる第一のご縁。
 
②その方はあたしの元々の出自であり、実父母の墓もある土地の近くに、その方のご親族が済んでおられ、お亡くなりになって相続されるということで土地で繋がる第二のご縁。
 
②更にその家をリフォームして賃貸に出すことになり、たまたま選定した管理不動産会社の副社長があたしの従兄弟の旦那だったという事実が先週末に発覚するという、人で繋がる第三のご縁。
 
とご縁の三段活用が完成し、これって「世間が狭い」という表現じゃ足りなくて
「縁が深い」という表現にした方がよいんじゃないかと思って、ふたりでメッセンジャーで笑いあったという先週末でした。この3つを確率論で考えると天文学的になりますから(笑)、科学では説明できない何か、という存在のおもしろさを体感できる逸話です。
 
なんでこの話を続けて書くかというと、大瀧詠一山下達郎も、そういう理屈では理解できない(非科学的な)言葉で説明し尽くせない何か、があったのだろうということが言いたかったのです。
 
「出会い」と「邂逅」という2つの言葉がありますが、大瀧さんは、細野さんとは「邂逅」達郎さんとは「出会い」だと生前語ってました。大瀧さんは地方公務員の親のせいで岩手県内を転々としたそうですが、あたしも移動が多かった流浪のFreeflowな人生なので、この「出会い」と「邂逅」の違いには敏感なほうです。小さい頃から出会いと別れを繰り返すことにより獲得される何か、というのは確かにあるような気がいます。その場所にその時いなければ出会わなかったろう人と、いつか必ず出会ったであろうという人、どちらも大切な縁なのですが、後者には説明のつかない何かが宿っていることに後から気づく、その気づきが人生のおもしろさでもあるような気がします。
 
だから、達郎さんは大瀧さんをまとめて語る難しさも、理解しているつもりで、逆に達郎さんが大瀧さんを語る語り口が面白いということでもある。音楽の話じゃなくて人生の機微を表象するひとつの題材として、ですね。