ロスジェネ史を考える2〜不安と自信のラディカルな根源を巡る個人史

内田樹先生という思想家がいます。元新左翼の活動家であり、元バンドマン(ドラマー)であり、フランス文学者であり、レヴィナス研究の第一人者であり、武道家であり、元シングルファーザーであり、生粋のナイアガラ―としても知られている先生です。

あたしは20代中盤ぐらいで内田先生のブログに出会い、細野晴臣御大と共に、20代に最も思想的影響を受けた人物なんですが、その先生のつぶやきが昼時にふと目に入りまして、「日本辺境論」という2010年に本屋大賞を獲得した本が、中国語に改めて新訳されるそうで、確か韓国でもベストセラーになったと思うんですけど、中国でも多くの人に読まれてるようです。大陸の方々が辺境の日本の秘密に迫りたいという欲求は大きいようです。

それでその、2010年にベストセラーになった「日本辺境論」に実はあたしが登場します。2006年9月に六本木国際文化会館(良い建物でした)で行われた翻訳家の柴田元幸さんとの対談を聞きに行ったときのこと、対談後の質疑応答で指名され、発した質問は(要約すると)「先生のその根拠のない自信みたいなものはどこから来るんですか」という内容で、そんなラジカルな質問する人めずらしかったのか、先生がたいそうおもしろがり、次の日ブログに書かれ、ついには本にまで面白エピソードとして書かれたのでした。

※ちなみに当時内田先生が書いたブログは以下です。
http://blog.tatsuru.com/2006/09/21_0738.html

それで、あたしはその前の2003年に、東京自由大学で行われた細野晴臣さんと中沢新一さんの対談も聴講し、そこでも何故か当てられて(当てられ力というのがあるんですよね。念力)、同じ質問をしています。その時、細野さんは「それは万物への愛だろうね」と言っていました。愛を持って人やモノに接し、逆に享受していれば何をやっていても不安になることはない(転じて自信となる)という意味です。

はて、それで2006年に戻りまして、その六本木で、内田先生はなんて答えたかというと「幼い頃の家族からの無条件の承認」だと、確かその時におっしゃいました。君何やっても良いよ、と親や周囲から子供の頃おでこに合格印を押してもらった経験が、根拠のない自信につながっている、と。

あたしがその頃どうしてその「根拠のない自信」に興味があったのか、を説明すると、それは社会に出て、安全ではないけど、ワクワクする崖っぷちの道を歩きたい、でも経験がないから怖い、さてその恐怖や不安はどうやって払拭するのか、ずっと考えてました。田舎者だし、東京に血縁も頼りもいないし、流浪ですからね。そこで、目の前をひょいひょい崖っぷちをスキップして歩く尊敬する先人にその原理や秘訣を聞いてみたというところだったと思います。

二人から、なるほど「無条件の愛と承認のやりとり」が人生を愉しく生きる秘訣かと教わり、自分の人生に活かすことは勿論なんですが、運が良かったのは、その頃生まれた長女、二女、そして2010年に生まれる末っ子の子育てにも多いに役立ちました。

彼女たちに合格印押しまくったので、「どうしてそんなに根拠のない自信にあふれてるのか?」という、屈託なし、元気にゲラゲラ笑う、畏れを知らない、つまりまとめていえば「バカも突き抜けたら芸」という風体になりましたので。あとは幸せsになってくれればそれでよいです。

先日記事に現代思想のロスジェネ特集をあげたように、ここのところ「ロスジェネ関連本や記事」を集中的に読みました。同じ茨城出身の同世代ジャーナリスト小林美希さんの「年収443万円」も読みました。それらのロスジェネ関連本群のとりまとめて感想を言えば「限りなく不安に怯える同世代」ということでしょうか。

都市部も地方も、個人年収200万円の人も世帯年収1000万円の人も、妻帯者も独身者も、子アリも子ナシも、多くの同性代が不安に怯えています。

そのことと、今日の内田先生のつぶやきで思い出した「日本辺境論」の思い出と、20年前の当時のあたしの疑問と回答と、そして「無条件の愛と承認」を受けることor与えることが現世でいかに難しいのか(難しかったのか)と、その帰結としての損得の判断基準を乗り越えるのが難しい人たちの増える不安社会、と。いろんなことに思いを馳せ、結局若い頃の師匠の普遍的教えの効用が、時間が経って今さらに身に沁みる、2022年暮れのひと時でございました。