ロスジェネ史を考える1~2007年の「ロストジェネレーション登場」時の感想を振り返る~

昨日地元のバーに顔を出す前に、書店を冷やかしに行ったら、入り口近くに、現代思想12月号「就職氷河期/ロスジェネの現在」という本が目に入り、当然買いますよね。(笑)買いました。1700円。昔1000円以内だったんだけど、まあいま文芸誌読む人、新聞と共に激減してるんでしょうから、時代記録です。
 
週末にまとめて読もうと思ってるんですけど、それで思い出したのは「ロスジェネ」って言葉が初めて世の中に登場してきた時(2007年元旦からの朝日新聞の連載記事)に、あたしどこかに感想を書いてたなあと思い出して、探したらブログ庫から出てきました。
 
それをここに転載しといて、2007年から15年経過したイマ、現代思想はロスジェネをどう語るのかをこれから読むのも一興ですか、ということで記事投稿。
 
 しかし15年前、30代前半の自分の危機感や覚悟、腹の据わりの原点を1995年に置いているのは、自分でも興味深く、やはり高野悦子さんの遺作ではありませんが「20歳の原点」みたいなことはあるんでしょうかね。
 
------以下転載--------
新年明けて一回目の更新です。今年もごひいきに。
さてさて、掲題の「ロストジェネレーション」というのは
元旦から朝日新聞が始めた一面での連載記事の題名です。
うちは朝日新聞じゃないんだけど、「キミ好みの連載やってるよー」
というご連絡を元旦からわざわざいただいて、知りました。
持つべきものは友達。感謝してます。いつも。
 
この「ロストジェネレーション」という言葉
25歳~35歳までの人を指して朝日が付けた世代名で
その世代が今現状どういう生き方で、どういう動きがあるか
ってのをレポートしてます。
「ロスト」ってのは、「失われた10年」からたぶんきていて
バブル以降の90年~00年の「失われた10年」に育った世代だから、
「ロストジェネレーション」。なるほど。陰鬱なネーミングだね。(笑)元旦から。
この連載が、朝日の一面で元旦から始まる、というのにはちゃんと意味があってですね。
 
それは「2007年問題」。
2007年問題とは、昭和22年~24年生まれの、所謂「団塊の世代」が大量に
定年に迎えることになって、社会に様々な支障が出てくるのではないか
という問題のことで、皆さんの親なんかもそろそろ定年、ってな感じに
なってきてると思うんですけどね。
それを目前に控え、朝日は何かを訴えかけている。
果たしてそれは、どういったメッセージでしょうか。
 
ロストジェネレーションに対しての応援歌?
ロストジェネレーション自身の自虐ネタ?
それとも、現状を放置して「あとよろしくね」って
定年してゆく団塊世代に対してのアンチテーゼ?
 
朝日新聞という思想的背景も踏まえるとだいたい連載の主旨は分かってくるけど
これを企画執筆している記者連中の世代がどのあたりか、
でもだいぶ記事の意味合いは違うと思います。
 
ただいずれにしても、僕にはどうしても記事が気持ちよく読めないんですよね。
朝日新聞だけじゃないです。
社会派と呼ばれる媒体すべてに負のパワーが蔓延しているように思うんですよ。
負の連帯(共感)をすることで、なんとなく安心感を持たせる空気。
何を今さらやってんだか、と正直僕は思っちゃいます。
 
これらのメディアの情報を見ていると12年前の95年、
10Kそこそこの転送速度しかないモデムで
インターネットをやり出した頃を思い出すんです。
インターネットは(たまたまタイミングよく、だけど)
まさに「ロストジェネレーション」のためのメディアだったと思うんですよ。
若者のための社会に対する「異議申し立て」メディアとして
たまたまインターネットってのが出てきた。
 
エロもグロも音楽も活字も映像も、あらゆる他の文化も、
インターネットという「開かれて閉じた場」で
ロストジェネレーションは、社会に対する違和や異議を様々な形で表現したんです。
その若さ故のパワーをうまく集約してビジネスとして乗せた一部の天才が
同じロストジェネレーションの「IT長者」たちだったり
名を上げたクリエイター達だったりした。
 
邪魔な大人はほとんどいなくて自由だけがあった時代なので
若者にはちょうどよい空間だったですよね。
それはいつの時代も大人の揶揄がない若者空間ってのはあったのと同じことで
それがただ現実の場ではなくて、サイバー空間だったというだけの話だと思います。
そこで表現して、賞賛も批判もたくさんあびて、己を鍛える。
 
その頃僕もライターの真似事的なことしたり、
それが高じてHPとか立ち上げてたりしていたんだけど
僕が書くものっていうののの本質とか根源は
場所や時代は変わっても内容は変わっていない。
それはそれなりに練られたという自負はあります。
 
ただ、予想以上に悪い社会が早く現実に来てしまったとも思います。
当時、そういう状況を予測して本当に当時暗澹たる感じで、ふてくされてましたね。
文字通り、ほんとに「暗い青春」だった。(笑)
昼は読書に物書き、夜は地下でクラブに閉じこもって快楽を浴びてるだけじゃねえ。
基本的に陽にあたんないわけなんで。(笑)
 
 
大手のマスメディアは、今さらながらに言う。
暗い顔で、社会を憂いでみてる。
でも、もうそこでは状況は変わりはしないし、
朝日の記事だって、もはやそれで現実を変えていく力はない。
それを新聞自身が自覚しているとすれば、まだ救われるけど。。
すでに10年以上前に、
インターネットに散らばったロストジェネレーションたちの違和異議申し立てを見て
気づく人は気づいたはずだと思うんですよ。
現実で、並居る大人や社会と勝負しないで、仲間で閉じて傷をなめあっても埒があかない。
ホリエモンの逮捕っていうのは、僕ら同世代の黄昏だと
だいぶ前のエントリーに書いた気がします。埒をあけようと勝負しにいって、
負けちゃったから。大人と社会に。)
埒があかないから、大人と勝負する為に、
同じ土俵に立つ条件としての、社会的な言葉と振る舞いを手に入れるために
自覚的に社会に出たって動機が、ロストジェネレーションたちの動機の一部には
あったと思うし、10年たって勝負できる人も出てきてるわけでしょ。
もっとそっちをクローズアップすりゃいいのに。
 
でも大半のジャーナリズムは、
時代が悪い。政治が悪い。社会が悪い。会社が悪い。家庭が悪い。運が悪い
あいつが悪いし、おれは関係ない、と
歳食うだけ食って、そういう子供みたいな被害者意識を可愛がる感じ
それは10年以上前のインターネットの世界と何も変わっていない部分を
今も変わらずクローズアップする。
 
もっと自分の現実を動かすためにやることがあるはずだと思うけど
ただしがない現実が流れていくのを指を加えて見ているだけの記事しか書けず
このままどうすりゃいいのさ日本、と嘆く新聞を見ながら
なんとかならんのかこの空気、と年始から暗澹とする感じでねえ。
おれたちゃロストジェネレーションってか♪(アパッチ野球軍の歌風味でお願いします)
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まさかこの1年半後に「リーマンショック」が来るとは思っていないわけですが、果て、15年後のイマ、現代思想で何が語られるのでしょうか。読むのが愉しみです。