続々レクイエム〜伊藤アキラさんを偲ぶ

続くレクイエムでございますが、作詞家、伊藤アキラさんご逝去の報。


大瀧詠一を一般社会に認知させた「三ツ矢サイダー73」の作詞をした人でもあるけど、その組み合わせを仕掛けたのは、2018年に亡くなってしまったCMディレクターの大森昭雄さん。

大瀧さんは大森さんから伊藤さんへの作詞のリクエストを聞かれ「あ、で始めてください」と一言、何故かといえば、大瀧さんは風街ろまんの一曲目「抱きしめたい」を、あ、から始めていて、松本隆さんとチャレンジしたその韻律の難易度とイノベーションと手応えからきていて、さだまさしが鐘楼流しを作る時に、あ、から始まる韻律を研究し、悲しいメロディを明るい韻律で中和する手法を初めて取り入れたとこないだ新聞で語っていて、抱きしめたい72→サイダー73→精霊流し74、とその実験は引き継がれ、75年以降、あ、で始める韻律はヒット曲に溶け込んでいく流れ。

大瀧さんの後継者のひとり、伊藤銀次さんはシュガーベイブのdowntownを作詞する時に山下達郎と共に、あ、の多用を意識したと言い、それが75年、ジャパニーズポップスの晴れやかな幕開けは75年、つまり、シュガーベイブSONGS、小坂忠ほうろう、荒井由実コバルトアワー、鈴木茂バンドワゴン、大瀧詠一ナイアガラムーン、細野晴臣トロピカルダンディ、がほぼ数ヶ月の間に発売された75年だという諸説に、あたしは異論無しです、


たまたまテレビっ子時代を生きた人間にとって、この記事に出ている伊藤さんが手がけたCMソングたちはいつでも唄えるという意味で、大正時代に北原白秋や野口雨情や西条八十が携わった童謡運動と生み出された童謡たちに匹敵してもいいわけで、そうであれば大瀧さんも小林亜星さんも、山田耕作中山晋平になぞらえても良いわけなんてすが笑、例えば小林亜星ゼロ年代に起こした盗作裁判で、検事が「●音中▲音同じ音が使われてます」のような野暮な検証をしてしまうことによく現れているように、CMソング、そしてある時代以降の歌が歌い継がれず、企業価値や損得勘定、カネと権利、狭い視野で目の前の利益に固執するがあまりに、時代と共に消え去ってしまう運命にあるということ、伊藤さんの仕事が持つ普遍性がCMという舞台であるが故に時と共に霞んでいく感じがなんとも切ない感じがします。


こないだテレビ離れが深刻ニュース流れてましたけど、発想が逆で、1960年ぐらいから60年間たまたまテレビの時代ってのがありまして、っていう考え方のほうが自然で無理がなくて、それはナンシー関が亡くなった20年前ぐらいから薄々感じてたけど、こないだの田村正和さん然り、伊藤さんの追悼はそのままいよいよテレビ追悼でもあるのかもしれません。


富永一郎さんと共にご冥福をお祈りします。f:id:fraflo:20210523074341j:plain