しらけちまうぜ、はまだジャニーズはライブで歌うのか?追悼 小坂忠さん

追悼 小坂忠


忠さんの訃報。73歳。1948年生まれだから大瀧詠一さんと同じ年。忠さんは大瀧さんの運命を大きく変えた人た。はっぴいえんどに大瀧さんが入ったのは「忠さんの代打」だったのだから。


忠さんははっぴいえんどに加わらず、アメリカのカウンターカルチャーを代表する舞台「ヘアー」の日本版にに参加した。プロデュースは川添象郎さんだった。オーディションで歌を歌う時細野さんが伴奏でついて行ったらしい。しかしセックスドラックロックンロールな世界観は日本で目の敵、関係者が多数逮捕され舞台は頓挫。歴史のifは意味もないけど、60年代後半のカオスを表象する、小坂、大瀧、細野をめぐる逸話だと思う。


忠さんと言えば、スライ&ファミリーストーン「フレッシュ」に影響を受けて細野さんが多作した内省的ファンクチューンを、自分が声が低すぎて歌えないがために、かまやつひろし和田アキ子始め、シンガーに提供しまくっていた70年代中盤の、その最高峰と言われる小坂忠「HORO」を今でもみんな推すし、新聞の追悼記事も代表作としてそれを挙げてるけども、あたしはこの77年の「モーニング」を挙げとく。


75年に放浪を出して、ティンパンアレーとツアーをまわり、カルトヒーローとして大瀧さんや細野さんと共に音楽好事家の支持を得ていた矢先に幼い娘が事故死、キリスト教に救いを求め洗礼を受け、牧師、ゴスペル歌手、そしてゴスペル専門レコード屋「ミクタムレコード」立ち上げに行く前の、娑婆での最後のアルバムである。世俗に別れを告げるような、哀愁漂うアルバムである。

ユーミンなど、キャンティ仲間は既にフロントランナーであったが、その後世の中は、ロック御三家、YMO、ライドオンタイム、ルビーの指輪ロンバケ、サムデイ、とティンパン人脈が次々に世の中に出て行く中、忠さんはどんな気持ちで俗世を捨てて、クリスチャンの道を歩んだんだろうか。2000年頃に細野さんに引っ張り出されて世俗に戻ってきた時をリアルタイムで見ていたが、飛ぶ鳥を落とす60年代後半からの流れを踏まえて複雑な思いで見ていた。


忠さんの数奇な運命を日本のロックポップスの側面史にしておかないための名盤」HORO」が肝心な時にうちのレコード棚からなかなか出てこないのはなぜなのか。


ご冥福をお祈りします。