続くレクイエム~田村正和さんとわたし~

またレクイエムかよ、ということで田村正和です。

あたしは眠狂四郎の時は生まれてないので、初田村正和は「うちの子にかぎって…」で、小4。
学園ドラマものの歴史を見る時に、70年の中村雅俊にはじまり、水谷豊、金八先生といくわけで、連合赤軍新左翼の挫折の後、新人類(三無主義)世代に熱血を、校内暴力世代に愛を、と来て笑、その後管理教育が徹底されて悪は地下化する(分かりにくくなる)という時代を先んじて捉えているタイトルがヒットした理由というお決まりのテレビ評は置いといて、小4だった1974年生まれのあたしがそのドラマを見た動機は「田村正和」ではなく「チェッカーズが全面的に使われている」からだったりしました。あたしが自分のこずかいで最初にかったLPはチェッカーズだから。主題歌は星屑のステージ、劇中歌に哀しくてジェラシー、でした。

だからそこで出会う田村正和があたしにとっての田村正和で、その後継として作られた「パパはニュースキャスター」も見たけど、少しアダルトな演出になった田村正和を少し怖いと小学生ながらに思ったことを覚えています。だから当然「ニューヨーク恋物語」などは見ていない。もっと怖いから。笑

その団塊JRの「良き理解者」のイメージのまま時は過ぎ、古畑任三郎が始まります。時は94年。20歳。学生、または働いていたとしてもそんなに責任もない立場だから、時間と(自分の可処分所得が劇的に増えたという意味での)カネを持て余している自由気ままな団塊JRは、インターネットもないので、テレビ(タイアップ)とカラオケ文化の盛り上がりでCDバブルが起こったのと同じ理屈で古畑に引きつけられたのではなかったでしょうか。勿論三谷幸喜の脚本力はあったとはいえ、あたしは同世代たちが80年代に抱いていた「うちらの良き理解者」としての田村正和がヒットの導線になっていたとも思います。

古畑は刑事コロンボのパロディと当時から言われていたけど、事件現場にプジョーのチャリンコで登場する演出があった時、元々コロンボはイタリア系移民庶民階級の刑事が、アングロサクソンのハイソな犯人たちを追い詰めるという階級闘争の構造がウケてんだから、古畑がプジョーのチャリンコで事件現場に来るじゃだめで、左とん平がヘイユ―ブルースをバックに、屋台のおでん屋から楊枝を口に差しながら事件現場に呼び出される演出じゃないと、と冗談を書いたり言ったりして、かなりウケたことを覚えています。当時からアホです。笑

新聞記事の追悼にはTBSとフジのドラマプロデューサーが両方出てきますけど、双方が双方をほめたたえていて、、テレビの一番良かった時代の郷愁を誘っています。結論として田村正和が雲の上の映画スターから「わたしたちの良き理解者」になって、そのまま社会人として自立するまで、そばに寄り添ってくれたという、あたしには田村正和と言う人は、そういう存在だったと思います。過去の成功体験に拘らず、時流をちょっと先んじて掴み、しかし本質は変えないという「不易流行」を地で行く存在であったことは、その引き際にも良く表れていたと思います。渡哲也もそうでしたし、田村正和も、こないだ書いた「涅槃」の実践例ですな。見習いたいです。

ということで、ご冥福をお祈りします。