「涅槃願望」について~父の一周忌に想ふ~

4月28日の朝刊を眺めていたら、「涅槃」という仏教用語に出くわした。分かりやすくいえば、死を点で考えるのではなく、ろうそくの火がゆっくりと消えていくように、ある状況になれば世俗的な絆を断ち切り、自分で人生の幕を引くことを良しとする「往生への希求」のことだとのこと。新聞にこのことを書いていた90歳の宗教学者は、「ある状況」を見極めたうえで断食で衰え、そのまま逝くことを理想にしていた(けれども現世はなかなかそうできず、まだ生きている)と書いている。

去年のちょうど今頃、父は誤嚥性肺炎で微熱が続き、コロナ禍に揺れる社会状況で入居する施設も対応に困って入院することになり、この時期病院は救急でないと受け入れてくれないとのことで救急車を呼び、救急車に入って13カ所目に問い合わせた病院で受け入れが確定するという混乱の社会状況の中で運よく受け入れ先が決まり、あたしは連れ合いと病院現地で待ち合わせ、父の到着を待っていて、コロナで面会が出来なかった2~3か月ぶりに顔を見て30分もしゃべり、手紙も渡すことができたのだった。

その1週間後、主治医に呼び出され、「お父さんの一言目は早く死なせてくれというもので、ご家族で何か生きる希望のようなものを与えてあげられませんか」と言われ、なんとも言えない気持ちになった。その気持ちはその一年半前、父が独り暮らしを諦め、施設に入った後からずっと続いていた。自ら進んで衰え、生きる努力をしない(ように見えた)父を、どうやって励まし、一日でも長く生きて欲しいと伝えられるのか、葛藤した一年だったし、また自分の家族にさえ「父はどうして死に向かっていくのか」という問いを明らかにすることもできず、独り抱え込んでしまっていた時期もあった。それは「自死」というものが「悪」であるという刷り込みでもあり、希望や夢を持たない生は「ダメな生」であるという価値観に囚われているということでもあったと、いまとなっては思う。

そんなあたしの葛藤は、その主治医の言葉で顕在化され、一緒に聴いていた連れ合いにもなんていっていいかも分からず(それは連れ合いも同様だったと思う)、その後たまたま個室で治療を受けていた父と面会OKですということで更に30分父と話し(結果的にはそれが父の総括的な話だった)、自然と父への感謝の言葉を泣きながら最後口にして家に帰り、ひとり台所で晩ごはんを作りながら主治医の言葉をリフレインしつつなおも問答を繰り返し、「そうか、それが父の最後の意思であり願いであり矜持なのか」と分かった(諦めた)瞬間に天ぷら油で手を火傷し、次の日の昼に父は亡くなった。
(いまはコロナ禍で面会できないどころか骨さえ拾うことができない人も多い中で、すべてを滞りなく手順を追って送れたのは奇蹟でもあったと今は感謝の気持ちしかない。)

そしてその一年後に、この「涅槃」という言葉に出会うのは偶然なんだろうか。いまから一年前、いや、父が施設に入る更に一年半前にこの言葉を知っていたら、もう少し違ったケアの仕方があったのかもしれないが、その葛藤と問答を経てこの言葉に出会うからこそ、あたしには一生忘れられない言葉と世界観になるのかもしれない。

そして家族に言っておくならば、あたしも「ある状況」が来たら、おそらく「涅槃願望」の境地に入るだろうということと、そうなったら誰の言うことも聞かないので、「それはそういうもの」と諦めて欲しいということ。「涅槃」という言葉を理解していれば、そんなにそれは難しいことではない、ということをあたしが身を持って経験したということを、ここに書き記しておきたい。