コロナ禍と相続手続き~曽祖父母の幻影を追い玄孫の未来を考える~

少しご無沙汰してしまいました。父の49日も終わり、全ての相続手続きも終わりが見えてきました。しかし相続手続きってのは人生にそう何度もないとはいえ、人生勉強ですね。資産を全部洗いだしてみると、例えば母の所有物が母のママで母が亡くなった時に父が相続をし忘れて、あれ、これもやらなきゃダメですね、とか言われて、母の出生地まで戸籍謄抄本を取りに行って、それ見て、初めて母方の祖母の旧姓を知るとかですね。

良く考えなくても、あたしは2人の親、4人の祖父母、8人の曽祖父母、16人の…と永遠続くわけですけど、自分が継いだ名字以外はだいたい情報落とすという理不尽について改めて考えますよね。母方の祖母は93歳まで生きて、あたしは精進落としで挨拶を頼まれ「あたしの身体の4分の1は祖母のDNAで構成されており、あたしの子供たちの身体の8分の1は祖母のDNAだから、末代まで語り継ぎたい」とか言っておきながら、祖母の親の名前を人生40数年で初めて知るなんて体たらくでは…。(笑)

相続手続きをしていて驚くのはその厳格さですよね。父は「本籍地」「不動産取得地」「最後の住所地」が全部違うので(最後の一年はあたしの家の近くの施設に連れてきたので)とにかく3つを走り回るわけですね。この書類はここでしか取得できません、認定が取れません、と。

それを「行政の融通が…」と最初は思ってたんだけども、その他金融機関なども含めて手続きを進めていくと、それがすべて行政金融機関の「リスクヘッジ」であること、つまり、それだけトラブルが多いってことなんだということなんですよね。人間の業(ごう)を見る想いです。

前にここに書いた「親が存在することにより自分を立脚させてきたラディカルな土台が、親が双方死ぬことで、だるま落としのようにすっぽり叩きだされることによる喪失感」はだいぶ癒えて、毎朝毎晩、仏壇にお線香をたき、拝むことによって心身の落ち着きは維持されていますが、最近はそれが、この社会の動乱下における緊張感がそのことを忘れさせてくれていることにも気づきました。

幸い経営する会社は、影響はゼロとは言えなくても売り上げが半分とかほぼゼロになったとかいう状況にはありませんし、どちらかというと恵まれた状況にあるとは思います。それでもやはり、このブレまくる国や都の指導力の下で暮らすことが、どれだけ人々に緊張を強いているかということは毎日実感します。

自分で考え、自分で判断して、自分で責任をとる、というようなことは経営者としてずっと訓練してきているわけですけれども、このご時勢で、そういう訓練をしていない人にもそういうことが強いられることの厳しさというかですね。それは25年前に「そういう社会になるかもしれない」という予感のもとに、自分の道を作ってきたことも振り返って考えると、これを元に戻すのにやっぱり「三代かかる」ということを改めて思います。

あたしはコロナ禍の中、親からの相続手続き過程で、あたしから見て4代前の8人の曽祖父日の名前を全員言えるようになりましたが、明治~大正の動乱を生きた曽祖父母たちに想いを馳せながら、あたしから4代後、つまりうちの三姉妹の孫ぐらいには、今よりも良い社会が到来していてほしいと願いつつ、今日も経営を続けています。