「細野晴臣と彼らの時代」を読む

あたしの人生の師匠でもあるところの細野晴臣さんの評伝を読了。基本的には今まで10年に一度ぐらい訪れる「はっぴいえんど再評価」の時に出されて散逸している証言資料などを1本の線にまとめている印象ですが、重要な新たな事実もいくつかありました。もう一人のあたしのお師匠である大滝詠一さんと「武蔵と小次郎」のような書かれ方をしていて、「ジャパニーズポップス革命史」における細野さんと大瀧さんを中心とする群像劇としてとても面白く読みました。

長くも短くも書けますが、まとめると感想は以下3点です。

・日本のロックポップスを「はっぴいえんど中心史観」で捉えることへの批判も多かったけど、この本と最近のシティポップスの海外評価などを考えると、完全にそれが証明されて決着がついたという感じがしました。

・その「はっぴいえんど」と「はっぴいえんど以外」を分けるポイントはなんだったかなとこの本を読んで改めて考えると、はっぴいえんどのファーストアルバム「ゆでめん」におけるスペシャルサンクス表記です。バッファロースプリングフィールドの「アゲイン」に影響を受け、自分たちの創作に影響を与えて人物を羅列してるんですけど。はっぴいえんどは海外や国内の音楽家に限らず、落語家や文学者、あらゆる自分たちの「土着的影響」を隠さずに書いてます。「はっぴいえんど以外」の、いわゆる洋物をそのまま輸入する人たちだったら「土着」を表明することは避けたろうと思います。見えているところを真似したのではなく、本質的構造を真似たところに、彼らの知性があって、それが時空を超えた普遍性と結び付いたということでしょうか。もちろんそれはGSの流行への反省や対抗から来ているわけですけども。

・その「日本の土着」に注目した細野さんは、今でも自分はアミニズム(精霊主義)信仰者だと隠さずこの本でも言っていますが、あたしも特定の宗教者ではないけど、墓参り、縁起、利他、五感など意思とは別の力、なども科学と共に大事にする人間として、「人間が真に知的であろうとするならば、宗教的にならざるを得ない」という誰かの言葉を思い出したのでした。