キッチン南海と山下達郎から考える、大衆音楽と大衆食堂の相似性

https://news.yahoo.co.jp/articles/cca3c39de90c6c3a397d8f4f4a43b717054b3ea9

キッチン南海」の沿革と商魂を東洋経済が特集するということに、商いをしてる人間として、なんか感じるものがあります。

こないだ、キッチン南海の道向かいの「スイートポーヅ」もコロナ禍で閉店して、建物の老朽化でキッチン南海も今の建物壊してその場所での再開はしないんじゃ、神保町の裏路地もだいぶ趣が薄くなりますね。

こないだ新宿三丁目末広亭の隣の「ビフテキ あずま」が建物が立て替えられて、真新しい佇まいで地下に潜ったんだけど、やっぱり行かなくなりますよね。(笑)

この記事でキッチン南海の会長も言ってるけど、食べさせることを商売にする場合に考えることって味以外にたくさんあるってことは確かにあって、達郎さんは「大衆音楽は自分史の投影」と言っているけど、それは「大衆食堂は自分史の投影」も同じで、RIDE ON TIMEはカツカレーだし、クリスマスイブは生姜焼きなんですね。笑

その辺について、このコロナ禍であまりに「当たり前にあったものが突然無くなる」状況を次々に目の当たりにして、東洋経済ほどの経済誌も「それで本当にいいのか」的に路地で鈍く光り続けたものに着目してるということの、その「商い=飽きない」を続けることの困難さと共に、この20年、いや40年、目新しさや合理性ばかりに目が行きがちな現代人の習性を、コロナは少し変えてるのかもしれないなあ、と。

しかし、60年代に神田界隈の学生向けに雀荘が乱立して、雀荘へのデリバリー専門店を神保町に何店も展開していた、というのが記事に書いてあって、それは知らなかったなあ。あたし初めてキッチン南海に行ったのは早稲田と南池袋の暖簾分け店と本店の3店で1993年だったから、雀荘はカラオケに変わり(笑)、もうその面影はなかったですからね。

記事に載っている現存するのれん分け店も都内はほとんど行ってると思うけど、本店に限らず、どの店もそろそろ食い納めが近い気がする。どこも跡取りいない、というか、本店も含めて300年味とのれんを守る、みたいな気概、というか余分な肩の力が入った感じは会長にも各店主にもないんだろうなあ。でもそれは「二代目山下達郎」が居ないことと同じことで「大衆食堂は自分史の投影、そして自分がいなくなればきれいさっぱり終わる」、大瀧さん言うところの「始まったものは必ず終わる」という、それでいいと思いますけどね。

今朝はヤマハの栄枯盛衰について誰か書かないかと言ってたけど、キッチン南海と日本の大衆(若者)文化史の60年間についても誰か書き残したほうがいいと思いますよ。笑