動乱とポップスの相性の悪さ、そしてポスパン世界と服部良一と東京ブギウギ

身近なところで感染者や重症者も見聞きするようになって身辺にコロナ禍が迫っているのは感じます。ここはしかし悲観的楽観主義、あらゆることへの危機意識と精神的余裕と余白を兼ね備え、隣人への慈しみを持って、事にあたっています。たまたまとはいえ、その余裕と余白を生み出してくれる状況にあることに感謝です。

達郎さんや星野さんの発言や行動が政治に巻き込まれてしまっている、というニュースを見ました。達郎さんもよく言っていますが、そのような動乱がほとんどなかったこの50年とポップスの歴史を振り返り、いまがリーマンショック東日本大震災を超える有事であることを証明するニュースかと思います。

60年代にアメリカで起こったカウンターカルチャーによって、それまでポップスを歌っていた歌手たちが急にプロテストソングを歌うようになったという話や、細野少年や大瀧少年はそれに戸惑い彷徨っているところにアバンギャルドにその流れとは一線を画して音楽を紡いでいる人たちを見つけ、それを「新しい時代のポップスなんだ」と相互理解するところからはっぴいえんどが始まった、という話や、まさにいま、そこから始まっている系譜と思想に危機が訪れているといっても言い過ぎではないかもしれません。

もっとさかのぼれば、昭和初期にポップスを作っていた人たちが急に軍歌を作り始めたということもあったわけで、あたしはこういう時に、誰の何を信じるのか、その発言や行動のウラに何が埋め込まれているのか、を冷静に洞察して選択して信じる、ことが肝要だと思っています。その信憑性のポイントってなんなんでしょうか。

私見では、保守でもない、革新でもない、MOR(中道=ノンポリ)というものがある時、3つのどれがいま正しいのか、のポジション取りではなく、首尾一貫、3つのどの立場であれ、立場を貫き通した発言や行動を取っているかどうか、というフィルターで他者を感じること、達郎さん風に言えば「ココロは売っても魂は売らない」のは誰なのか、感じること、そしてその上でもっとも大事なのは、その人たちから発せられる情報を集めて「自分で考える」ができるかどうか、ということです。

別に国政に限らず、地域、学校、家族、あらゆるところに政治はあるわけで、そこで政争に巻き込まれた時、どんなに苦しくても孤独になっても、自分の軸を通すことが出来るか(軸を持っているかどうか)、誰かが声高に叫ぶ手合いのよいソリューションにパッとしがみついてしまい、自分で考える、ということを放棄していないか。

あたしが影響を受けてきたMORのポップス職人たち、細野さんも大瀧さんも達郎さんも、みんなその佇まいを貫き通してやってきたし、あたしもそれに感応してイマの自分の状況を作ってきました。右であれ左であれノンポリであれ、それを貫き通すところには、ちゃんと思想があります。ノンポリという思想、は、だけどあまり共有承認されない。なぜなら、分かりにくいからです。理解に時間がかかるから。

不安や不満、怒りと孤独を抱える人たちが、2つの軸(権威と反権威)にぱっとしがみついて収束していく、または逸脱していき、群れとなって大移動を始めている現状、という認識で、ここで果たしてそこと一線を画して、この状況を自力で耐え忍び、ポストパンデミックの世界を考え、力を蓄えることができるのか、自分自身の選択として、今まで育ててきた自分の軸(座標軸)をブラさず貫き通すことができるのか、あたしも正念場です。こう書く事によって自分をも含む風景を客観視して、また今日も生きていきます。

今回の官邸の星野さんの作品使いについては、何回も書いてますが、高田渡さんが1968年に出した「自衛隊に入ろう」が皮肉ソングであることを理解できず、防衛省がキャンペーンソングに使わせてほしいとURCに打診してきたという笑い話を思い出してます。

あたしが強く思うのは、達郎さんも、細野さんも、星野さんも活動を止めないで欲しい、ただその一点なのですが、とにかく他責的(または依存的)ソリューション一辺倒で他者にしがみつきたい人たちの争いに巻き込まれた時、それを続けるのは至難の業だろうとも容易に想像がつきます。文化全体や繋げてきた街の風情が風前の灯となりつつあるいま、何回も書きますが「絶望からしか見えない美しい景色もある」と思って耐えて息をひそめていただき、ポストパンデミックの世界で晴れやかに職人たちの音楽が鳴って欲しいと思います。

それはあたかも戦後の街に、笠置シズ子の「東京ブギウギ」を鳴らした服部良一のように。