流れ者 逝く

今月、渡哲也さんの訃報を新聞で知った。

西部警察などはちょっと前の世代で、あたしゃ世代では無いので思い入れは特にないのだけど、石原裕次郎記念館を畳み、石原プロモーションを倒産廃業ではなく解散の目処をつけて亡くなっていったことに敬意を表したいと思う。

 「21世紀の石原裕次郎を探せ」あたりまでは、まだ肩に力が入っていたように思うけども笑、時代の変化に逆らわず、自分の役割を察し、石原裕次郎33回忌を過ぎてのこの終幕。見事じゃないですか。ねえ。

拡げた風呂敷の畳み方に吉本もジャニーズも、電通も、その他「たまたま時代のおかげ」で大きくなったことを自覚しきれてない人たちがみんな困ってることは昨今のニュースが語ることだけど、局面には色々あって、何も考えなくても成長できる時、逆境でも現状維持は衰退だと成長戦略をとる時、それでも苦しくてマイナスを現状維持で凌ぐ時、そして引き際を悟って終戦処理する時、場面によって力の入れ方、努力の方向性は変える必要があることは明白ですが、「自分の生きている時代」を俯瞰して距離をとって考える視座がなければ、親や周囲の前時代人たちが生きてきたように自分も生きられるはずだという思い込みに走ってしまうことはある。

特に日本人は一番引き際に弱いというのは、戦争を敗戦で終えて、それでもなお終戦と言い換えたいメンタリティによく表れているけど、自分がどの時期に生きるかは運でしかないわけで、それを見極め、天命を知り、悟り、次の人たちに迷惑をかけないように淡々と仕事を全うし、死んでいくことを渡さんが提示した意味を考えたい。

あたしも流れ流れてアウェイ人生なので、渡哲也で言うところの「流れ者」的(小林旭で言えば「渡り鳥」)な在り方で生きてますけど、飛ぶ鳥跡を濁さず、こないだ亡くなったうちの親父もそうでしたな。それを「オトナの余裕」というんじゃないかと、あたしは思うし、そう在りたいと思います。

そういえば、親父が渡哲也の大ファンで、名前に「哲也」とつけられたっていう昔の会社の同僚がいたなあ。彼はお元気だろうか。