過去に学ぶ余裕を作るのが困難なご時勢に、それでも学ぶことを考えられるのか

誰も考えることかもしれませんが、この間、うちの仕事は「不要不急」なのか「必要火急」なのか、という問いがふと頭に浮かぶことがあたしにもありました。

その問いに対して、あたしは世間の判断はどちらでもよいと思っていて、自分でその2項対立の問いに判断をしても意味がなく、社会からの仕事の要請に真摯に答え続けることそのものが使命だから、その意味で、この状況でも社会からの要請が続く限り、うちにとって全ての営みは必要火急なんだということと理解しています。

そんなことも考えながら続ける営みを通じて最近2つ気づきがありました。

1つ目。あたしはハンセン病の歴史に触れられる仕事に関わってます。

この間、コロナ感染者をめぐる偏見差別、日本独特のムラ社会意識丸出しの事件や出来事が起きてますが、それは100年前からのハンセン病をめぐる歴史をなぞるかのようで、日本は結局この100年で経済的に多少豊かになっただけで、その皮を剥けば前近代なんだ、ということが浮き彫りになってる気がします。

山本七平「空気の研究」を久々に読み直したいところですが、ハンセン病に限らないけど、一等国を目指すが故の無理と、その無理は続かなかったという敗戦の歴史を振り返るに、昨今の「さすがニッポン」的な政治的煽りは、えーと100年前にも…。(苦笑)

もう1つ。守秘義務で名前出せませんが、当社の企画構想で現在、明治から120年続くとある有名業界紙の記事を引き取り、調査研究しています。明治30年の創刊以来、大正~昭和初期の好景気にかけて日刊で4ページだてとなり快調に発行していたところ、昭和18年夏(戦下情勢が厳しさを増した時期)から2ページだて不定期発行になりました。

そして元の快調ペース(日刊4ページだて)に戻るのに敗戦から、なんと丸8年を要し、昭和28年にやっと戦前の平時に戻ったという事実です。

GHQの占領下5年を除いたとしても、平時の体力を取り戻すのに控えめに見て3年かかったという事実を見て、やっぱり今回の動乱も長期戦の覚悟を決めなければいけないんだなということが分かります。情勢が厳しくなってから10年間、歯を食いしばって動乱の最中でも新聞を出し続けた先人達の矜持、が紙面から伝わってきて、改めて敬意を表しています。

ちなみに昭和28年てのは、山下達郎江戸アケミが生まれた年です。(だからなんだ笑)

冗談は置いといて、シェアするこの約100年前に繁栄していた鉱山村がスペイン風邪で壊滅したことを伝える石碑記事もそうなんですが、ハンセン病の通史も、ある特殊メディアの通史も、動乱を前にしてみたら過去に学ぶ時間などは不要不急なのかもしれません。しかし現実に翻弄されそうになる時にこそ、過去に立ち返りヒントと気づきをもらうことで冷静になれることもあるわけです。

過去に学び、現在を感じ、未来を考えるのが近代的成熟だということを信じて、あたしは過去に学ぶことを容易にする道具を後世を生きる人に残す、役立てられるものになるように工夫する、そのためにまず会社の存続を果たす。戦中戦後の動乱を生き抜いた先人の矜持に学びたいと思います。

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