ポストパンデミックを考えるためには、今までの自分を振り返っておくこと、そしていまの自分を記録しておくこと

休眠していたブログを最近ポツポツ思い立ったら更新しようと思ったのは、この動乱の最中で自分がその時何を考えているか記録しておきたい衝動に駆られたからなんですが、もしあたしがコロナにかかってそのまま死んでも、家族への遺品として残りますし。(笑)

1994年にインターネットを始め、最初は「貴俗」というホームページを立ち上げて、そこで多くの人との交流が生まれ、ゼロ年代にこのブログを書き始め、止めたり再開したりを繰り返しつつ、その間に会社で部長になり社内ブログも社員に向けて大量に書いて、結構な量になっています。最初の「貴俗」のテクストは消滅してしまったけど、このブログと会社のブログの文章は手元にあるので、その記録を眺めて改めて思うのは、あたしはほんとこの20年、公私の壁なく、言ってることの原理原則が変わってないということですね。

「変わらないために変わり続ける」ことをずっとしてきて、いまこの動乱の時代に至っても、あたしは言うことがいまのところ変わらない、という幸運への感謝と、これから何が起きるか分からない中で、ポストパンデミックでも変わらずにいられるのかどうか、20年習慣化してきた「変わらないために変わり続ける」を貫けるのかどうか、動乱のいまこそ、重要だと気づかされます。

当社の経営理念の1つに「不易流行」を掲げていますが、「変えてはいけないもの」と「変えなければいけないもの」の分別というのは軸と哲学がないとできないわけで、その自分軸(自己哲学)を練り上げられたのは、この20年書きなぐってきたテクスト群のおかけであることは間違いないと思います。
別に何の得があるわけでもなく(たまに全く知らない人に褒められたりしたことはあったけども)ただただ思うままに書きなぐってきたのは「いつかこれは役にたつはず」という勘でしかなかったのですが「いつなんのやくにたつか分からないものを(だけどいつか役にたつと予期的確信に基づいて)続ける」ことができたのは、きっと親の育て方が良かったからだと思います。親に感謝。

ホームページやブログで20年積み上げた自己哲学や表現を、40過ぎてから「会社経営という場」に集約することができました。会社の有り方、そこで働く人々と共有する文化や習慣、生み出すものの発想、品質、全取引先との関係性、全てに20年で練り上げた自己哲学が詰め込まれて表現されている、とても幸せなことだと思います。
そういう意味では、もういつ死んでもいい、というふうにも思います。
その覚悟なら、この動乱も怖くないでしょうか。

怖いかもしれない、けど、不安や怖さを無かったことにしたり、逆に負の感情に振り回されたりせず、少なくとも同居する強さは身にまとうことはできる、と、過去の自分のテクストで変わってない自分を確認することで、思うことはできます。

過去に学び、現在(イマ)を感じ、未来を考える、この原理原則に立ち返る限りは、まだまだあたしは大丈夫そうです。