リセットシンドローム

なんていう言葉が、非公式みたいですけど、あるみたいですね。リセットという選択が可能であるために与えられた状況で粘れないコドモたちのことを指すようです。

これは前に話したことがあるんですけども、わたしはその「推進」によって得た売上を請求する際に、請求書を手書きすることにしています。時間が許せば、手渡しもします。

請求書を手書きすることを、メンターとわたしは「写経」と言っているんですけども、心身を統一して、今月請求する案件を書きながら噛み締めて、1ヶ月の反省をするのです。えらい時間食いますけども。

それをやってて思うのですが、手書きなので、一箇所間違ってイチから書き直すのはしんどいので、かなり集中して書きます。それこそ請求書の枚数が多いと、かなりの時間を費やすことになります。別のことを考えていると字が乱れるし、内容も間違えます。かなりそこに集中して、書きます。

ま、零細企業経営の中で自分達の手触りの中で仕事しているから可能なんですけども、でもそういう「手触り」の中で仕事をしていることを、わたしはかなり楽しんでます。

手書きを効率性という面からみたら、効率的ではありません。ですけど、売上を立てさせてもらったお客さんに感謝をして、自分が売上につなげるまでやったことを振り返って、次のステップへの指針とする、ということの効果を考えれば、大した非効率性ではないかな、とも言えます。

「忙しい」って絶対に言わないのがオミズマインドの定義のひとつにあります。だって忙しいの内容にはいろいろあるからです。リアリズムからいくと、儲かっているかどうか、人の役に立っているかどうか、自分たちの生活が守れているか、が問題であって、主観で忙しいとかどうとかいうのは、どうでもいいからです。

ここも忙しいを理由に休んだことはないんですけども、それでわたしは「集中」ということを考えるんです。

何かを集中的にやる、という時に、PCに向かって企画書書いている時と、紙に向かって請求内容を書いているときの、その集中力の差は、愕然とあると実感するわけなんです。それこそ、「簡単に戻れないぞ(修正がきかないぞ)」という覚悟の話です。

人間一日に集中できる時間なんて限られてますけども、仮に一日の労働時間を8時間としたときに、8時間請求書を書くときのような集中力を続けろといわれたら、わたしできないですね。とても。

つまり、何がいいたいかというと、わたしらが「当然」とされて生きてきた「後戻りがきいて、なるべく失敗のない(人の命を奪うリスクが低い)状況」という「手触りの無さ」は、人間が集中する能力を殺ぐんだよねという、わたしの実感です。

若い子見てると、一生懸命キーボード打ってるんだけど、画面見ると、書いたり消したり、している、とかね。よく聞く話ですし、実際たくさん、そういうの見てきました。

ここもだいたい1回30分ぐらいで投稿するんですけど(誤字脱字はお許しを)、2時間も3時間もかかっていたら、それは毎日なんて、とても出来ません。

だから能率ってなんだろうという話ですが、こう社会が後戻り可能でシステム化されちまうと、「やり直しがきく」という前提で、ある程度集中が殺がれた状態で仕事を行って、ほとんどは「確認」と「やり直し」の時間に持っていっても「普通」になってしまう。

効率的なツールはあるけど、人の生産性は、その効率性以上には伸びていない、というのは、おそらくこの辺りじゃないかなと思います。

時代はスピード化したけど、リセットという手段を手に入れてしまったことによって、時間の密度は薄まった。その薄まり(散漫さ)、を普通のこと、にしないようにするには、ということで出されている対策が、昨今読んでいる本には、たくさん書かれているかね、なんて思うんです。

皆さんきっと、表現は違えど、同じことを、考えていらっしゃるのでは。

ということで、明日は残りの「若さ」について、モノローグです。