想像力の使い方

今週はデザインから想像力から多元社会まで、だららっと書いてしまいました。いずれにせよ、泥臭い現実を前に、想像力はどんな有効性を持つのか、そんな話で、今週は終わりたいと思います。

わたしそのモラトリアムと虚構の追体験に溺れる人たちとお付き合いしながら読んでいた本で「池袋母子餓死日記」という本がありました。

高齢の母親と知的障害があってまともに働くことの出来ない中年のムスコの二人暮らし。母親の年金で二人食べていくのもやっとという状態で、日記は続くんです。お金もない、ムスコの介護で母親はどんどん衰えていく。そして二人とも餓死してしまうのですが、その母親がつけていた日記が、なんの装飾もなく、ただ淡々と印字されているものでした。

これは前に書いたことがありますけども、時代のお祭り騒ぎがバブル崩壊で終わり、泥臭い現実が顔を出すようになった90年代に、これが祭りの後の現実だろうということで、たくさん泥臭い、グロテスクな現実の表現や文化が出てきました。

ひとつの流れとしては、それをサブカルの極地として、エロや死体や暴力や奇形人間や、それらを新たなカウンターカルチャーみたいな感じで、刺激物として特に若者に送り込んでいった側面のもの。それはどんどん過激になってエスカレートしていきましたねえ。

もうひとつの流れは、上述の日記みたいな、いままでハリボテで覆い隠されていたものが表にそのまま出てきた、みたいなものの類。刺激、とかではなくて、ただただ落ち込むだけ、というものです。70年代まではあった、そういうものが80年代は覆い隠されて、また表出してきた。そう思うと、やっぱり80年代って特別な時代だったなということがよく分かるんですけどね。

それで、そういう流れの中で、神戸の震災やオウムの事件なんかが起こって、エログロの流れは退潮して、下の流れだけが残ったような気がします。

そのあたりで、一気に現実に対してシリアスに、マジメになった感じがします。わたし。前にかいた世の中的にマジメがネクラと乖離したのは、このあたりだったかもしれないですね。

例えば、エログロに触れて、おースゲーなんて言っていた。そしたら神戸で震災が起こって、彼女(いまの奥方)が思い立ったら即行動でボランティアに行ったんですよ。そしたら、体育館に亡骸がたくさん並んでいて、みたいな話を聞いたりするわけで、「おースゲー」なんていうことでは、もう無くなっちゃったですね。

それを自分の手元に引き寄せて考える、ということがその頃から出来るようになってきました。まわりのハルキストやアンバランスなオンナノコたちと決定的にズレたのも、この辺りだったと思います。

それで思い出すのは、湾岸戦争です。わたし高校生でしたけど、まだ幼くてアホなので、テレビの向こうの出来事でしかなかった。考えようにも、考える素地がないんです。だけど、バブルに守られて、平和ボケしていた文化人たちが、湾岸戦争に対して、何かアクションを起こさなきゃ、ということをした時に、自分達の無力さとか、目の前の泥臭い現実を前にいままでのことを懺悔するとか、そういう動きがあったりしました。

その後世紀末にアメリカで起こったテロの時は、わたしは前述のそれらとは受け止め方がまったく違ってましたけど、湾岸戦争からオウムまでを対岸の事として処理してしまっていたら、おそらく高校生の時の「テレビの向こう」と何ら受け止め方は変わっていなかったかもしれません。

その餓死日記もそうだし、そういった文脈で読んでいた、例えば70年代の鎌田慧さんの労働者ルポものとか、何たらドキュメンタリーとか、そういう想像力の素材を取り込んで自分のこととして処理していたことと、自分のまわりで起こっていた現実のことと、多くのことを手元に引き寄せて対処することを繰り返していたように思います。でもそれは意図してやっていたということよりも、90年代中盤という流れの中で、わたしにとっては自然なものでしたけども。

先日、40代オトコひとり、両親健在ですが、父親が脳梗塞で倒れ、いままで父が面倒見ていた既に要介護状態の母親を施設にあずけ、忙殺される仕事と父親の看護と母親のことと、という厳しい現実が、一気に飛び込んできたという人の情報に触れました。

そういう時がもしきたら、わたしはどうすんだろうなあ。それを補完してくれるのが、世の中に多くある想像力のはずです。例えば身の回りのことに心を配ってくれる恋人や家族がいたら、その時の負担は分散する、突然そうなっても仕事の負担が減らせるように日々同僚と協調して連帯して善意のまわる環境にしておく、そうなっても経済的に苦しくならないように貯蓄しておく、そうなった時に慌てないように両親と「ありうるべき過酷な未来」について、話をしておく、とか。

泥臭い現実は、ある日突然やってくるんですよね。

来ないかもしれないし、来るかもしれない現実に備える、上記のような「慈愛の関係」とか「仲間との連帯」とか「コミニュケーション」とかの具体的なことは、まさにそのときのために準備する保険商品とは違って、「その為だけに準備するもの」ではないです。

だけど、様々な「起こるべき可能性の高い泥臭い現実」を想像力から仕入れて、その対応について自分に引き寄せて考えた時に、その対処に必要なものに、それらの「基本的なこと」は必ず顔を出すはずです。

その必ず顔を出すもの、が、だから毎日淡々と大切にするものだと思うのですが、その大切にすべきものはこれ、という「気づき」を得るために、世の中に溢れる想像力の数々は、必要不可欠なものとして、いつまでも存在するのだと思いますね。

いま社会問題の被害者になっている人たちも、本当にある日突然あれ?ということになったんでしょう。わたしも、例えば働く前に、炭鉱労働者や期間労働者の過去の現実を伝えるルポなんかを読んで手元に引き寄せて自分のこととして考えていなかったら、何を大切にしてどう働いていくべきかを考えることなく、何かを見通すこともなく、なんとなく働いて、なんとなく突然窮地に立たされていた可能性が高かったと思います。

最後になりますけど、わたし、一年前の今ぐらいに、あるリスペクトするオンナノコを、わたしの心無い発言で傷つけてしまったんですね。その時「想像力がないよ」って言われて関係性を崩しました。自分の未熟さに打ちひしがれました。

一年後に、まさにその想像力の話を書くってのも何かあるんでしょうけども、その後の一年で、少しは成長したでしょうか。

それでは、今週もお疲れ様でした。

※ここをお読みの方で、ハルキストである(あった)方は、今週のエントリはご気分悪くされたかもしれません。
 そうであった場合は、深くお詫び申し上げます。